芸能人スキャンダルに異様に厳しい昨今の日本社会。谷本真由美『不寛容社会』はイギリス在住、日本、イギリス、アメリカ、イタリアで働いた経験を持つ著者による一種の「日本人論」である。

 海外生活が長い著者の日本に対する感想は〈この20年ばかりの間にずいぶんと「不寛容な社会」になってしまったと感じています〉。〈景気が良かった頃は、もう少しカラッとした明るい雰囲気に包まれていた気がするのです〉

 不寛容さの例は〈芸能人の不倫の叩き方は、死んで謝罪しろというまでの勢いです〉と彼女が形容するベッキーの不倫報道、そして舛添要一前東京都知事の「公費の私的流用疑惑」報道である。

 メディアが一様に発情した2016年4~6月の「舛添叩き」はたしかに常軌を逸していた。半面、庶民的でセコい使途が目立った舛添氏に比べ、金額的にも使途の点でもはるかに問題が大きい石原慎太郎元都知事の経費を糾弾する声はあがらなかった。

〈理由は簡単です〉と彼女はいう。日本には行政評価の専門知識を訓練する大学院が少なく、マスコミ関係者が学べる講座もない。よって〈誰も行政に対して専門的な知識に基づいた指摘ができ〉ず、情緒的な報道ばかりになる……。

 短期的には経済の低迷で〈自分以外の「誰か」のせいで、「自分の人生が侵されている」と感じている人〉が増加したこと、長期的にはウチとソトを分け、〈「ソト」の人間と認識されてしまえば、強引かつ無礼な振る舞いが許されてしまう〉日本社会の集団主義が不寛容の原因だという指摘は、一応ごもっともである。

 ただ、イギリスでは、アメリカでは、などの「では話」を並べて〈欧州北部や北米の「個人主義」に学べ〉といわれても、そんなことはわかっているのよね。いまの日本人はむしろ、こうした「ソトからの警告」に耳を貸さないんじゃないかな。みんな正論に飽きていて、だからウチからソトに向かって石を投げる。たぶん病理はもっと深い。政治家の不正に正しく怒れという意見には賛成だけど。

週刊朝日  2018年3月30日号