同じ部署の先輩が「静かな退職者」だったという都内の50代女性は「定年の1、2年前から仕事量と熱意を減らしていました。『静かな退職』は悪いことだとは思っていません。私もゆくゆくは実践したい」と打ち明けた。
そもそも「静かな退職」は個人の問題なのか、それとも職場環境(企業・経営側)の問題なのか。このあたりのバランスをどう捉えればいいのか。
前出の高田さんは「『静かな退職』という現象自体は善でも悪でもないというスタンスが重要」と説く。
「個人にとっては解決すべき課題というより、働き方における選択肢の一つという捉え方がよいと思います。例えば、『仕事における過度なストレスや燃え尽き症候群(バーンアウト)を避けるための自己防衛手段』や『自身の健康や私生活を守るためのバランスを取る方法』といった説明がなされています。成長の機会を失うので個人にとって課題であるという指摘も一部でありますが、私は本人が成長を望まず、自らの意思で『静かな退職』という選択肢を取っている場合、それはもはや個人の課題とは言えないと考えています」
その一方で、企業や組織にとっては解決すべき課題である面が否めないと主張する。
「『静かな退職者』の存在が、ときに企業経営にとって悪影響を及ぼすケースが指摘されているためです。例えば、静かな退職を選択した従業員は受動的な態度を取り、能動的な協力や意見交換を避けがちで、これによりチーム内での意見の多様性や創造的な対話が減少し、結果として職場の総合的な生産性が低下します。また、最低限の仕事しかこなさない従業員が増えると、ほかのメンバーがその分の負担を負うため不公平感や疲労感が増大し、これがチームワークの劣化や労働者間の摩擦を生むことにつながり、組織全体の士気に悪影響を及ぼす可能性があるという指摘もあります」
いざとなれば、「静かな退職」という選択肢もある。個人としてはそれくらいの心持ちで、長く働き続けられればよいのかもしれない。
(AERA編集部・渡辺豪)
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