
母とも話さなかった
自分の人間性を感じるのが嫌でした。会話をするって一番自分を感じますよね。誰ともしゃべりたくなくて、母とも1年間一言も話さなかった。母が起きたら寝て、母が仕事に行ったら起きる。そんな生活をしていました。
食べ物は母に徹底的に管理してもらいました。冷蔵庫に食べ物を入れないようにしてもらって、常温で保存できる食材は金庫に入れて鍵をかけて、食べられない状況をつくってもらいました。
母は心配もしたし、大変だったと思います。私を責めずにやってくれたことに感謝しています。
絵を描くことが日記がわり
――絵を描き始めたのは、そんな生活の最中だった。
「自分は何をやっているんだろう?」という気持ちはずっとあって、絵を描くときだけはその状況を忘れられたんです。日付の感覚がなくなっていたので、日記がわりでもありました。絵を描く習慣は昔からあったんですが、毎日何時間も描くようになりました。
はじめに描いた絵は、食べ物。「食べたい」という欲求が強くて、ハンバーガーやピザの写真を見ながら模写しました。食べ物を見つめたかったんだと思います。
自分の顔も描いていました。ひきこもっている間も感情の起伏があって、不安に襲われたり涙が出たりすることもある。涙が出たら自分の顔の写真を撮って、描いていました。
自分の存在が消えていきそうななかでの存在確認だったかもしれません。絵にすれば、対象を客観的に「ただの形」として認識できて少し楽になる、というところもありました。「自我」から解放されたかったんだと思います。
「この絵を人前にだしたらどうなるんだろう」
――描くという行為は、心の安定にもつながった。
絵を毎日描くようになって、精神的に安定するようになりました。絵が完成した瞬間の、「今日も描けた!」という達成感の積み重ねが、自己肯定につながったんだと思います。
1年くらいして、ふと、「この絵を人前に出したらどうなるんだろう」と思ったんです。それまでは「自分」を取り繕って隠そうとしていたのに、日記のような絵や自分の泣き顔まで出したら、どんな反応がくるんだろう。活動している間はあんなに怖かったことを、やってみたくなっちゃったんです。
もしかしたら私は破滅するかもしれない。「自滅行為」みたいな、私にとっては自爆するようなギリギリの思いでした。それでもその先を見てみたかったんです。

(構成・ライター 小松香里)
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