
うまくできなかったら失望される
「期待してるよ!」「頑張ってね!」とポジティブにかけてくださる言葉を、100%真面目に「かしこまりました」と受けていました。そして、「うまくできなかったら失望される」「価値がないと思われる」という錯覚に陥っていた。
今思えば、楽しいことも貴重な経験もたくさんあったのですが、当時はピリピリしていました。学校も辞めたし、きっと私は会社に入ってもうまくいかないだろうから、「芸能の世界でもダメだったらどうしよう」という切迫感もありました。
――活躍の場は広がっていくなか、加入から約1年で活動を辞退した。体調不良が原因だった。
芸能活動を始める前からあった摂食障害の症状がひどくなって、生活を立て直さないと、もう後戻りできないところまできていたんです。摂食障害は拒食と過食、それに付随する自発的嘔吐、全てを経験することも多いと思うんですが、私もそうでした。
モデルとして活動していた時期は、厳格に食事制限をしていました。毎日10キロ走り、摂取カロリーは1日1000キロカロリー以下に抑えていました。
そんな拒食症に足を踏み入れたような状態でAKBに加入したんですが、私だけ浮いてしまう。グラビアのお仕事もありますし、「ちょっと太ってもいいんじゃない?」と言われて、私はまたそれを100で受けてしまって、「一気に太らなきゃ」と2カ月で7キロ増やしたんです。そして、そこから適切な食事量がわからなくなり、過食が止められなくなってしまったんです。
――ひとり暮らしの限界も感じ、母が住む大阪の家に戻った。
摂食障害を明かしていなかったので、ほかに行き場がなかったんです。自治体主催の当事者会に行った際もタレントとバレてしまって、悩みを共有する場をつくれない。施設に入ったこともあるんですが、施設を出るとまた際限なく食べてしまう。先生からは「自分の心の不安を取り除く環境をつくらないと」と言われました。
自分の形を感じたくなかった
私の不安の大本は仕事からきているというのはわかっていたので、人前に出ずに家にいる、という形をとりました。
――その間、テレビなどメディアの情報も遮断した。
テレビで人間を見るのもつらかったし、知り合いに連絡を取るのもつらくて、携帯も解約しました。人の目も気になるし、鏡を見るのも嫌で、外には出ませんでした。自分の形を感じたくなかったんです。
