
そんなことを思うのも、今年の夏の話題を独り占めしている参政党を辞めた人たち、いわゆる「辞め参」と呼ばれる元参政党員の発信や、インタビューから目が離せないからだ。参政党の広報活動に尽力していたが、参政党が国政政党として力をつけていく過程で離れた人たちの話だ。私自身が「参政党=カルト」と断じているのではなく、「辞め参」の人たちの証言が、まさに「カルトから目が覚めました」というような語り口であることに衝撃を受けている。「洗脳が深かった」「外部の情報はシャットアウトしていた」「批判すると途端に村八分になった」「迫害されるのは、私たちが本物だからだと思っていた」「外部から批判されるほど内側の結束が強まった」……彼女や彼らの語り口は、信じていたものが間違っていたと気がついた、という、カルトから抜け出したサバイバーのそれである。
彼らの話はとても似ている。きっかけはコロナだった。政府やマスコミの言うことが信じられなくなった。ワクチンやマスクが強制されることに疑問を持った。真実を知りたいと思った。そこで参政党に出会った。簡単に言えば、そういう経緯で参政党に関わっていく人はとても多い。こういう人たちの多くは参政党の政治的イデオロギーに共感しているわけではなく、むしろ、元はれいわ新選組の支持者だった女性もいる。
参政党は楽しくやりがいのある場所だったと辞め参の人たちは語る。高揚感と使命感を感じられる居場所であり、気が合う仲間たちと一緒に語り合い、学び、やりがいを感じてどんどんのめり込めていける世界だそうだ。しかも参政党が販売するオレンジ色のグッズを身につけることで党に貢献もできる。……と書きながら思うが、こういう高揚感自体は基本的には推し活の延長のようなものだろう。推し活の延長のような気軽さで政治参加でき、そういう気軽さで社会を変えられるのが参政党だったのだ。