伊藤議員は「性虐待コンテンツを広告にするのは許すまじ!」と国会で吠えたのだ。多くの人が困り、心を痛めているにもかかわらず、男ばかりの国会でまともに語られてこなかったこの問題をストレートに取り上げたことに、どうか敬意を示してあげてほしい。
たぶん、よほど玉木代表のもとには「表現の自由をなんとするのか!?」という声が届いているのだろう。しまいには表現の自由を懸念する声に返す形でこんな投稿までしていた。
「エロはいいんです! エロは!」
もし玉木代表が女性だったら……。衆議院議員選挙後に不倫が発覚したらそもそも議員であり続けることは難しく、さらにこんなふうに「エロ」を連呼することなど許されないだろう。この「エロ」は、伊藤議員の「エロ広告」の連呼とは次元の違う軽さであることも含め、同じ「エロ」でも、エロには男女間に激しいダブルスタンダードがある。そしてそれこそが私たちのお困りのひとつでもあることに気が付かされる。
伊藤議員はいくつも重要な提案をしていた。それは性虐待表現のような暴力性の強い「エロ」が、どのような影響を人に与えるのかという調査が必要だということだった。本当にそれ、本当にそれ、本当にそれよ! と私は思う。私などは「女の実感」をベースに立っているが、世の中の半分の男たちが「その実感」と無縁であるのならば、調査が必要なのだ。暴力的な性表現、性差別的な性表現、幼女を性虐待する性表現、そんなものにさらされている日常がどのように社会に影響を与え、どのように人の意識に影響を与えているのか、または全く無風なのか。それこそ国がすべき仕事なのではないだろうか。「エロはいいんです!エロは!」と無意味なことを連呼する前に、「エロ表現」とされるものと「私たちの社会」について、私たちは立ち止まり考える時期にあるはずだ。