「エロ広告」について議論の取りまとめを「夏ごろまでには」と言及した三原じゅん子こども政策担当相=(3月18日、参院インターネット審議中継から)
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 作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、ネット上に表示される「エロ広告」と国会について。

【写真】「エロ広告」に切り込んだ伊藤孝恵議員

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 国民民主党の伊藤孝恵参議院議員は、参議院予算委員会で質問する1秒前まで「エロ広告」という言葉を使うかどうか迷ったという。3月18日のことだ。まったくの無規制で野放図のままネット上で表示される「エロ広告」に関して、伊藤議員は各省庁に積極的に切り込んだ。いったい誰が責任者なのか、この議論をいつまで引き延ばすのか、いいかげんにここは態度を決めるべきではないか。最終的には、こども家庭庁の三原じゅん子大臣から「夏ごろまでに」という答えを引き出すことに成功した。それもこれも「エロ広告」というストレートな言葉を使い、一種激しさと真剣さをもってのぞんだ伊藤議員の功績だろう。

「エロ」という言葉を使わずに、「性的な広告」とか「アダルト広告」とか「不適切な広告」とか……他にも使える日本語はあったと思うが、敢えて「エロ」と使ったのは、「相手に突き刺さる速さと深さ」を考えてのことだと、ご本人はX上で記している。

 新しい時代がきたのだなぁと思う。「エロ」という言葉が国会の文書に記載されたのは、日本の憲政史上初めてのことではないか。私などは、品位と権威が求められるべき国会では「エロ」という言葉を使わずに表現すべきなのではないか……などと考えてしまうのだけど、現実的に考えてみれば「私たちが困っている」「私たちが直面している」問題は、確かに、「エロ」でしか表現できないものなのだと、逆に気付かされる。そう、“私たち”は「エロ」と呼ばれるものに、困っているのだ。

……と書くと、「エロを定義しろ」という声が聞こえてきそうだが、その定義が難しいからこそ、私たちは「エロ」に困っているのである。「エロとは何か?」と定義したとたんに、今の「エロ」が含む暴力性や問題が薄まってしまう複雑さも含めて、「エロ」を語るのは難しい。また「エロ」に困っていることを語りだしたとたん、「表現の自由を規制するのか?」と、思わぬ方向からお叱りを受ける言論界隈の不自由さも含めて、困っている。

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