近年、運動会において「徒競走で順位をつけない」「勝敗を決める団体競技を実施しない」学校が増えているようです。「勝敗はつけずに日々の成果を見せる」「人前でビリになると子どもが傷つく」といった理由を支持する声もある一方で、「運動の得意な子が活躍する場が奪われる」「勝ち負けを経験させたほうがいい」などの反対意見もあります。そもそも、運動会で順位をつけることはよくないことなのか、子どものうちに「負け」を経験したほうがいいのか。文化人類学者で東京科学大学(旧:東京工業大学)特命教授の上田紀行先生に聞きました。
――最近では親世代の運動会とは随分変わって、「徒競走で順位をつけない」「順位をつける競技を行わない」小学校や中学校が増えているようです。他人と比較しない良さはあるのかもしれませんが、そもそも順位をつけるのはよくないことなのでしょうか?
たしかに、“運動におけるトラウマ”というものはあると思います。僕自身小学校時代はとても太っていたので、跳び箱なんて跳べたことがなかったですし、跳び箱に到達するまでの数秒間は「絶望に向かって走っていく」感覚があったことはいまでも覚えています。アルベール・カミュの不条理小説のごとく(笑)、まさに“失敗への助走”を繰り返していた感じですね。
鉄棒についても同じで、いい思い出がなかったから、「ここに近づいたらいけない」という感覚は子どもながらにありました。高校2年生のときに、初めて鉄棒で回転ができたときは「世界が回った!」と感動を覚えたほどです。
でも、順位をつけるのは「運動」に限った話ではないですよね。勉強にだって同じことが言えます。
――たしかにテストはありますし、中学になれば成績で学年順位もつけられます。
数学が得意な人もいれば、英語が得意な人もいて、誰しもが得意分野と不得意分野を持っている。人間は一人ひとり異なるとわかっていても、ありとあらゆることに競争意識を持ってしまうのもまた人間です。学校や塾などの教育機関だって、「難関大学への合格者〇人」といったことを当たり前のように出していますよね。「こうするのが正解ではない」とわかっていながらも、矛盾した行動を起こしてしまう。
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