年齢ではなく「お客さんからの見た目と芸」が全て
もともとおせっかいなところもあるし、人に何かを教えるのも好きだし、もし自分が役に立てるならと思って美容に関する話を始めて、2007年からは「べっぴん塾」というイベントもスタートさせました。
こう考えると、美容の道に進んだのもミヤコさんとの別れがきっかけだった。変にいい話にする気も全くないんですけど、今から思うと、ミヤコさんが次の道をくれていたんだなとしみじみ思ったりもします。
ミヤコさんのみならず、本当に私は人に恵まれているというか、いろいろな方から力をもらってやってきたんだとつくづく思います。
お二人とも亡くなってしまいましたけど「今いくよ・くるよ」師匠が何十年も前から女性芸人を何十人も誘って3月3日にごちそうしてくださる「ひな祭りの会」というのがあったんです。私もずっと参加させてもらっていて、ミヤコさんが亡くなってから、お二人に言っていただいたんです。
「女芸人に年齢はないからね。お客さんからの見た目と芸。これが全て」
だから、自分たちも年齢を出すことはしていないし、そういう思いでやっているんだと。そこから私も年齢を出さないようにしていますし、それが今にまで続いているということです(笑)。
今でこそ女性の芸人が当たり前になっていますけど「いくよ・くるよ」師匠は本当に大変な思いをされたとも聞きます。「ひな祭りの会」もそうですし、日々のいろいろなやさしさもそうですし、自分が受けてきた理不尽なことを一つでも次の世代から取り除く。そのありがたさをどんどん感じるようにもなってきました。それと同時に、自分がそれをできていない申し訳なさも感じるんですけど、少しずつでも恩送りをしていければと考えています。
次の大きな節目は50周年になるんですけど、その時には見た目もだいぶ変わっているだろうなとも思います(笑)。でも、その時々の自分にしかできないこと。それもあるだろうし、なんとかそれができていたらなと思っています。
コンビでやっていた時は「いつか、上方漫才大賞を取りたい」と思っていました。ミヤコさんがいなくなって、もうそれはかなわぬ夢となりました。
ただ、自分個人で、そこに匹敵するとは言わないまでも、何かしら「これだけのことはやったよ」ということを、いつかミヤコさんに会う時には話せる自分でいたい。今、それは強く思っています。
(中西正男)