ニューヨークで変わった「美」の価値観

 ミヤコさんがいなくなって、もう吉本興業を辞めようと思っていたんです。コンビが組めなくなって、吉本新喜劇に入れてもらったり、ユニットコント的な出番をもらったりもしていたんですけど、やっぱりコンビをやっていた時とは違う。コンビがなくなってしまった時点でもうお笑いもできない。ミヤコさんがいなくなって、正直、体調が思わしくなかったというのもありましたし、何よりお笑いができないなら吉本にいる意味もない。そういう考えになっていたんです。

 その思いを当時もおエライさんだった大﨑洋前会長に伝えたんです。「お笑いができないなら、吉本にいさせてもらうわけにはいかないので」と。ただ、そこで大﨑さんが「お笑い以外のいろいろなこともできるのが吉本」と言ってくださって、米・ニューヨークの知り合いを紹介してくださったんです。私は大阪外大出身なので英語ができることもあったんですけど、そこで見聞を広めることを勧めていただきました。

 それまではほぼ休みなく仕事をしていたんですけど、そこで初めて立ち止まったというか、ゆっくりと時間が流れる感覚を味わいました。

 向こうではベビーシッターをしながら英語を学んだり、舞台を見たりしていたんですけど、ベビーシッターで行くご家庭の奥さんも本当にきれいだし、セントラルパークなんかで見かける女性もキラキラしている。このきれいさは何なんだと思いつつ、ドラッグストアに行くと、日本とは全く違うものが売られているのに驚きました。

 それまではほとんど美容には興味がないというか「きれい」でいるよりも「面白い」と思われたい。その優先順位が高かったんですけど、ニューヨークに行ったことでおのずと「なんでこんなにきれいな人が多いんだろう」という意識が高まっていったんです。

 結局、ニューヨークには1年ほどいて帰国するんですけど、戻ってきてからテレビのロケ番組で私の家に「チュートリアル」がリポーターとして来てくれたんです。私からしたら、ニューヨークでの経験をもとに、美容の品を家に置いていただけだったんですけど、初めて家に来た二人からしたら「え、こんな家ありませんよ」「これは絶対にみんなに発信したほうがいいですよ」となったみたいで、そこで「自分のために好きでやっているだけのことだったけど、もしこれが皆さんの役に立つなら」と外に向けて発信する感覚が出てきたんです。

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いつか「これだけのことはやったよ」と伝えたい