「個人的なことは政治的なこと。半径2メートルから社会を変えることもできる」
当時、入社直後の女性アナウンサーだった小島さんが求められていたのは、いわゆる〝若手女子アナ〞の役割。深夜番組で催眠術にかかったふりをして性的な質問に答え……という仕事もあった。学生時代から抱いていた社会への問題意識は、十分にいかせず、世間で求められる女性アナウンサーへのイメージとのギャップに葛藤していた時期でもあった。
一方で、労組の執行委員として制度作りに取り組めば、誰かの暮らしを楽にできる確かな実感がもてた。「当時はテレビ番組を1千万人が見ていた時代。社員の中で組合活動に関心がある人はほとんどおらず、制度を変えても、組合のおかげだと思う人なんてめったにいない。でも確実に誰かの助けにはなるでしょう。カメラ越しに1千万人に『おはようございます』というよりも、はるかに世の中に関わっている気がした。かなりやりがいを感じていました」
社員という立場だけだったら、「雇ってもらっているのだから、会社の言うことを聞かないといけない」と思っていたかもしれない。でも、労組の執行委員という立場は小島さんにとって大きな意味があった。「労組は、株式会社東京放送とは別の法人格をもつ組織。その執行委員として、社長や役員と交渉できる。対等に話ができるって、なんてステキなんだろうと思っていました」
数少ない女性社員にアンケートをとった。悩みの多くが、出産後に元いた職場に戻れないなどのいわゆる「マミートラック」や育児との両立の問題だった。育児と両立をしやすいように、制度を変えられないか。会社に掛け合っても、はじめは「(困っている)当事者が少なすぎる」といわれた。それならば仕事と家庭の両立で、男性でも悩んでいる人はいないだろうか。ランチ会を開いてみると、意外と多く集まった。
女性だけではなく、男性にも困っている人がいる。そう提示したら会社が前向きになった。「幹部には、女性の声の周波数が聞き取れず、男性の声だけが届くのか?と腹立たしかったですが、動かせるものは動かそうと思って会社と交渉しました」。そうやって交渉の末、1日単位でしか取得できなかった看護休暇を半日単位に変更したり、心身の不調後に復帰した人たちの対応策を検討したりしていった。
「個人的なことは政治的なこと。半径2メートルから社会を変えることもできる」。そう思っている。だから誰かに困りごとがあれば、一人の問題とせず、どう解決できるかを考えた。小島さんは、もともと強い使命感があったわけではないが、気が付けばやりがいを感じるようになった。ただ、気になっていたこともあった。「組合には経営陣と『闘う』のが好きな人もいた。私は男性が机をバーンとたたいたり、怒鳴ったりするのを見るのは苦手で。時折、様式化しているのではないかと感じることもありました」