社員からも大批判に晒され、出口の見えないフジテレビ問題。怒号飛び交う10時間超のやり直し記者会見ではフジ社員自らが厳しい質問を経営幹部に向けた。その憤りを集約できるのが労働組合の機能だ。「時代遅れ」「面倒くさい」と思われがちな労組が、「社員代表」として経営再生にどう立ち向かえるのか。「変わる労組」の役割を渾身の取材で追った『なぜ今、労働組合なのか』(藤崎麻里著、朝日新書)から一部紹介する。
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10人に8人は労働組合に入っておらず、身近な存在でもない。そんな日本のいまの風潮のなか、フリーランスのエッセイスト、メディアパーソナリティーとして活躍する小島慶子さんは、労働組合は「手のうちにある権利として使えば、働く環境をカスタマイズできる方法」と話す。
当時、東京放送(現・TBSホールディングス)のアナウンサーとして働いていた小島慶子さんが、労働組合の執行部に入ったきっかけは、入社6年目のとき。先輩からの声かけだった。
「毎週水曜の昼休みに出ないといけない会議があるのだが、ちょっと仕事で出られない。俺のかわりに来週から出てくれない?」。13階のその部屋にいったところ、労働組合の部屋だった。開かれていたのは労働組合のミーティング。先輩から引き継ぎ、執行委員をやることになった。今でいう、ワークライフバランスや福利厚生にかかわる改善を担当していた人が執行委員を外れ、それを担当することにした。
テレビが全盛期のキー局の女性のアナウンサーだ。いわゆる花形の職種で、会社員とはいえ、人気商売とみなされる。「アナウンサーなのに、なんで組合活動?」。社員の仲間に、そう言われたこともある。「(労組といえば)面倒くさいと思われるかもしれない。でも、私は元々万人受けするアイドル路線ではなく、生意気だと思われていたから今更イメージを気にする必要もないやと思った。それより、自分の働く環境を自分でカスタマイズできるって楽しくない?と。もうこれは性分ですね」
タクシーの運転手に怒声を浴びせられた
東京放送の場合は、ユニオンショップと呼ばれる、入社したら誰もが自動的に組合員になる仕組みだった。給与明細を見ると毎月一定の額が引かれている。最初は、なんだろうな、としか思っていなかった。後に組合費だとわかった。ただ振り返ってみれば、労組とのかかわりの原体験は、入社1年後の1996年にあった。
TBSビデオ問題が発生した年だ。TBSに対して、オウム真理教が89年、坂本堤弁護士のインタビュー素材を放映前に見せるように要求し、局内でそれを見せ、その後に坂本弁護士一家の殺害事件が発生したという問題だ。それが明らかになって、TBSが認めたのは96年になってからだった。国会でも問われるほどの大きな社会問題となり、当時、小島さんがタクシーに乗って、会社へと行き先を伝えるだけで、運転手に怒声を浴びせられたほどだった。
そのとき労組から、経営陣に社員の意見を伝えようとアンケートがまわってきた。小島さんも、再発防止策、責任のあり方など、書き連ねた。アナウンサーの世界に入ったのは、1995年4月。1月に阪神淡路大震災があり、3月には地下鉄サリン事件が起きた直後だった。日本は平和で安全だ、と言われてきたことが幻想だったことに気づいた。