もしもグリコ・森永事件で脅迫に使われたのが、幼いころの自分の声だったら……。塩田武士の『罪の声』は、大人になった「声の主」が事件の真相に迫るミステリーである。
3億円事件と並んで昭和最大の未解決事件と呼ばれる「グリ森」。同事件を題材にして、たくさんのノンフィクションや小説が書かれてきた。
『罪の声』は固有名詞こそ置き換えられているが、事件の発生から終息までの経緯は、事実を忠実になぞっている。ぼくも昔、事件現場を訪ね歩いたことがあるが、記述はかなり正確だ。しかも、たんなる事件再現小説ではなく、犯行に加担させられた子どもの人生を描くという、まったく別次元の物語をつくり出したところが見事だ。
小説としての仕掛けが巧みだ。父の遺品から幼い自分の声のテープを発見する俊也。京都でテーラーを営む彼は、父と事件の関係を解明しようとする。一方、同じころ、新聞記者の阿久津は、特集企画で事件の真相究明を命じられる。厳しい上司にドヤされながら、タマネギの皮を剥くように少しずつ事件の芯に迫っていく。英国まで足をのばしつつ。
物語を貫くのは、子どもを事件に巻き込むのは許せないという気持ちだ。脅迫文のこっけいさや振り回される警察の姿などから、犯人を反権力のヒーローに見立てるむきもあるが、作者の姿勢はぶれない。脅迫メッセージに使われたのが子どもであるだけでなく、毒物を入れた菓子で狙われたのも不特定多数の子どもなのである。
現実のグリ森事件の子どもたちは、いまもどこかで生きているはず。この小説をどのように読むのだろう。
※週刊朝日 2016年9月23日号