今から27年前の今日、6月24日は昭和の歌姫と呼ばれた美空ひばりさんの命日。

もうお亡くなりになってから27年も経つのですね。彼女を知らない世代も年々増えているかもしれませんが彼女が残した名曲の数々はいまだに映画やドラマ・CMなどで使われるので、姿は知らねど(なのでしょうか?)歌声は誰でも一度は聞いた事があるはずです。世界中から好きなアーティストの楽曲をダウンロードしていつでも好きな時に聴くことが可能になった現代。「国民的歌手」は、もはや死語になってしまったのでしょうか。掛け値なしに「国民的歌手」であった美空ひばりさんについて、また昭和のスターについて思いを馳せてみました。

移設前、京都嵐山にあった美空ひばり記念館「ひばり座」。現在は同じく京都太秦の映画村に移転し運営されています。
移設前、京都嵐山にあった美空ひばり記念館「ひばり座」。現在は同じく京都太秦の映画村に移転し運営されています。
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●「お嬢」とよばれた彼女のドラマティックな人生は「家族」がキーワード

元祖ステージママ、元祖一卵性母娘…母・喜美枝さんとの二人三脚イコール美空ひばりさんの歌手活動と言っても過言ではありません。喜美枝さんがひばりさんを呼ぶ時の愛称「お嬢」がそのまま当時の国民誰もが知るひばりさんのニックネームとして定着していたのも喜美枝さんの存在がいかに大きかったがわかりますね。

筆者が歌手・美空ひばりさんの事を考える時、もちろん数々の名曲が頭に浮かびますが、同時に頭に浮かぶのが母・喜美枝さんを始めとする彼女の家族と共に歩んだ生涯そのものです。筆者は美空ひばりさんの歌を聴いて育った世代ではありませんが、小さな頃から彼女の歌がテレビやラジオから流れ、家族団らんの時には彼女のことが話題に上り、ファンでなくてもなんとなく彼女の生涯を把握していたからでしょうか。

常に横に寄り添っていた母・喜美枝さんは、元祖ステージママとしてプロデュースから私生活まで全てをコントロールしていました。時には、黒い交際の原因では?小林旭さんとの結婚生活を破綻させたのでは?と言った批判にさらされましたが、美空ひばりさんの情感溢れる歌声・物語性の高い歌唱力は家族との濃密な関係性があったからではないでしょうか。のちに若くして母・喜美枝さんや兄弟、家族のような存在だった石原裕次郎さん・鶴田浩二さんを相次いで失ったひばりさんは、急速にお酒やタバコに溺れていき自身も病に冒されてしまいます。もちろん歌の原動力はファンの応援だったでしょうが彼女にとって家族がいかに大きな存在だったかがうかがえます。彼女を見る側の私達もいつも家族揃ってお茶の間で美空ひばりさん始めスター達の歌を一緒に見たり聴いたりしていた時代。スターと家族を自分達と重ね合わせて感じていたのかもしれません。家族揃ってお茶の間でテレビを見る…そんな光景が無くなってきた今だからこそ美空ひばりさんの事を考える時「家族」というキーワードが浮かんだのかもしれません。

奇しくも美空ひばりさんが亡くなった1989年は昭和から平成に元号が変わった年です。彼女はまさに最後の昭和のスターだったのでしょうか。

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