岩崎航は3歳で筋ジストロフィーを発症した。年齢を重ねるごとに筋力は衰え、40歳になった現在、胃ろうからの経管栄養、そして人工呼吸器を24時間使って生きている。
 何をするにも介助は不可欠だが、岩崎は25歳から詩を書きはじめて五行歌を詠むようになり、3年前には、詩集『点滴ポール 生き抜くという旗印』を上梓した。反響は大きかった。私もすぐに読み、いくつもの短詩が放つ命に向きあう誠実さに愕然とした。
〈選択肢の無い/状況であれ/決断/は/必要なのだ〉
 生活の幅も、人生の余地もひどく限られた中で、それでも生き抜くと決めた詩人の言葉は、穏やかに沸騰していた。制限されているが故に濃縮された「生」の輝きと、凄味。どこにも散漫はなかった。間延びした日々をつい送っている者にすれば、それらは、いつしか目を逸らしてきた命の本質でもあった。
 そんな「生」の結晶のような詩を詠む岩崎の初エッセイ集『日付の大きいカレンダー』には、詩の背後にあった彼の過去が書かれている。それは予想どおり壮絶で、17歳のころに自殺願望に囚われたとあっても不思議はないとさえ感じる。ならば、なぜ彼は、病状が悪化するなかで生き抜くと決意できたのか?
 この問いを抱えて読むうちに、私は何度か「光源」という言葉を目にした。岩崎は「病魔」に対抗して生き抜くための光の源を、両親や姉や同じ病を抱える兄、介護者といった人だけでなく、自然や本の中にも発見したのだった。
〈日付の大きい/カレンダーにする/一日、一日が/よく見えるように/大切にできるように〉

週刊朝日 2016年6月3日号