大学受験直前の骨折寝たままで試験受け合格に病院で歓声
試験まであと2週間のとき、予備校の帰りに車いすが転倒、骨折し、愛知県春日井市の病院で手術を受けて入院した。立命館大学に問い合わせると「試験会場へくることができるなら、寝たまま試験を受ければいい」と言ってくれた。民間の救急車を手配し、看護師さんたちがベッドに作業台をつくってくれて、受験勉強を再開する。
合格発表は大学のホームページで確認。受験番号をみつけてナースコールを押し、「受かりました〜」と叫ぶと、看護師さんたちが「わ〜っ」と声を上げてやってきて、「おめでとう」の大合唱だ。多くの出会いに恵まれ、ここまできた。そう実感し、もう歩けないと知った日とは全く別の涙が、流れる。
2008年4月、立命館大学経営学部で起業家育成コースへ入ると、同期に民野剛郎さんがいた。ある日、偶然、一緒に学生食堂で昼食を取る。学食では自分もトレーを持って料理を取り、運んで食べる。そのとき、周りの友人は必ずトレーを持ってくれた。料理も、とってくれる。自分でやれないことはないが、周りがやってくれるので、素直に受け入れてきた。
でも、民野さんは持ってくれる素振りもしなければ、さっと会計を済ませて先にテーブルにつく。食べ終わると、「はい、じゃんけん」と言ってきた。負けたほうが食器を重ねて返却口に持っていく、ということだ。自然な形で「対等」に向かい合う、それがすごくうれしかったことを、よく覚えている。
起業を目指す点で一致し、軍資金をつくるため、他の友人も加えてビジネスコンテストの賞金を稼ぐことにした。自らの受験体験から、キャンパスや周囲でバリアを越えなくていい進路を示す地図をつくる「らくらく大学ナビ」を発案。同じ京都市にある大学のビジネスコンテストで、グランプリを獲得する。
その後もコンテストで受賞を重ね、2010年6月、大阪市北区に事務所兼住宅を借りて、株式会社ミライロを設立。民野さんは副社長で、社長は垣内さん。大学3年生のときだ。
いま、「らくらくナビ」をレジャー施設などへも展開し、企業人たちに障害を持つ人とどう向き合うのがいいかの研修もやり、予算がなくてバリアフリーにできない場合でも「ハードは変えられなくても、ハートは変えられる」と説く。様々な出会いを重ねてここまできた。まだ35歳。きっと、未来は広い。(ジャーナリスト・街風隆雄)
※AERA 2024年9月2日号