「笠智衆さんは『僕は電車のあるうちは鎌倉から通うんです。それが健康法です』とおっしゃって、送り迎えは断っていた。希林さんも『社会生活ぐらいできなくてよく俳優なんてやってられるわね』と」

 最近、岸部は自分自身の「終わり方」も考えるようになったという。

 京都時代からの生き方、たとえば、しゃべるよりも人の話を聴き、苦手なものをあえて克服せず、古希を過ぎて少しまるくなった自分。

「それでも、うまく言えないんだけど、たどり着かないなぁっていう。終わりが来た時に、ああいうやり方、考え方でやっぱり良かったんだと思えるかどうかは、また別問題だなと」

 俳優になって半世紀。大きな賞も獲った。周囲からは十分すぎるほどの成功に見えるかもしれない。名脇役、いぶし銀と評されることも少なくない。

「でも、良い俳優さんですね、なんて言われると知らないうちに人の評価に自分を合わせようとする気持ちが生まれる。すごいですね、と言われて、自分がすごいと思ってしまったらその『すごい自分』に合わせた生活になってしまう。そこがなんとなく僕には合わない。歳を取って、少しずつ仕事が少なくなって、いつの間にか人が忘れてくれるくらいがちょうどいいのかな。でももう少し、好きな人たち、好きな監督と仕事はしたいですけどね(笑)」

「人生百年時代」と言われる。55年に男女ともに60歳代だった平均寿命はそれぞれ20歳近く延び、60~70代を昔のように老年期と呼ぶにはあまりに若い。緩やかに長く続く人生後半戦の坂をどう下っていくのか、若い世代も不安を抱えている。

 岸部たち団塊の世代は、未知の時代を走る先頭集団だ。

 ザ・タイガースと決別した瞳みのるとは08年、37年ぶりにメンバー同士で元マネジャー・中井国二の仲立ちによって再会、「長い別れ」は雪解けを迎えた。瞳はあの71年1月24日、有楽町のガード下での別離の後、猛勉強を経て大学進学し慶應義塾高校の漢文教諭に転身。定年を前に退職して現在は音楽活動とともに専門である中国語を生かして日中文化交流にも注力している。森本タローが定期的に開くライブはいつも盛況だ。森本のファンだけではない、沢田研二や瞳のファンも、誰もが楽しめる温かい雰囲気で溢れている。

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