正直に白状すると、その時にどのような話をしたのかはあまり覚えていない。ただ、私たちが青春時代を過ごした昭和の終わり、西暦で言うならば一九八○年代の思い出について、それぞれが勝手なことを口にし、それを聞いて笑いながら相槌を打つという、ほとんど中学生か高校生が放課後に教室の片隅で行なう内輪話のようなやり取りに終始していたように思う。

 この心地よい会話の中で、いくつかの単語がキーワードとして浮かんできた。貸し本、貸しレコード、カセットテープ、ラジカセ、フィルムカメラ、スポーツサイクル、駄菓子屋、細い路地、木塀、木造アパート、下宿屋、煙草や酒、それに成人雑誌の自動販売機……、そして銭湯。

 それらは「失われてしまったもの」もしくは「失われつつあるもの」たちだ。しかし、同時に若い人たちの目には新鮮に映るようで、「昭和レトロ」というジャンルとして確立している。

「あの頃は何をするにも手間がかかりました。けど、その手間が良かったんですよね、きっと」

 そんな言葉を残してK氏は打合せの場から去っていった。この囁きをヒントに創作に取り掛かり、でき上がったのが『中野「薬師湯」雑記帳』である。

 K氏との打合せの直後から、私の心は四十年ほど前の中野へと旅立っていった。思えば、どれも懐かしく、ほんの少しぼんやりとしたつもりでも、時計の針が随分と進んでしまっているといった状態がしばらくのあいだ続いた。

 そんな時に、脳裏に蘇ったもののひとつが、当時住んでいた近所にあった銭湯だ。宮造りの瓦屋根からは大きな煙突が突き出ていて、浴室の壁には立派な富士山が描かれているという、まさに「絵に描いたような」銭湯だった。

 今回、本コラムの執筆依頼が舞い込んだのを機に、あらためてネットで検索をしてみると、その銭湯の名が「富士の湯」であることが分かった。驚いたことに誰が撮影していたのか、取り壊される前の外観まで掲載されていた。

 記憶とは微妙に異なる写真を眺めながら、私は何でも調べられるネットの恩恵にあずかりながらも、その便利さ加減について少しばかり考え込んでしまった。

 こうした裏話はさておき、私は十二分に楽しみながら銭湯を舞台にした若者たちと、彼らを温かく見守る大人たちの一年を追う物語を書き終えた。時代設定は現代だが、昭和の匂いを感じ取っていただければ幸いである。

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