『Let’s Go Crazy : Prince And The Making Of Purple Rain』Alan Light
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『Let’s Go Crazy : Prince And The Making Of Purple Rain』Alan Light
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『Purple Rain』Prince
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『レッツ・ゴー・クレイジー:プリンス・アンド・ザ・メイキング・オブ・パープル・レイン』アラン・ライト著

●第3章 ブリング・2・ライフ・ア・ヴィジョンより

≪パープル・レイン≫は、プリンスがツアー中に、もう一人のロック・スターを観察していたことに、端を発した。

 プリンスは長年にわたり、マイケル・ジャクソンに対する対抗意識を取りざたされていたが、ウェンディ・メルヴォワンは、「マイケルが、彼の最大のライヴァルじゃなかった。誰もかれもが、倒すべき敵だったわ」と言う。

 また、リサ・コールマンも、「プリンスは、世界中の人と競っていたのよ」と笑って言い添える。彼は実際、音楽誌やファッション誌を手当たり次第に読み、刺激的な対象を追い求めて、吸収しうる要素を嗅ぎ分けていた。
 
 プリンスは『1999』ツアーの間、アメリカの中西部でボブ・シーガーの後に、何度もコンサートを行っていた。ある夜、彼はマット・フィンクに、デトロイト出身のその誇らかな労働者階級のロッカーが、大受けする理由を尋ねた。  
 フィンクは、シーガーの大ヒット・バラード、≪ウィヴ・ガット・トゥナイト≫や≪ターン・ザ・ページ≫が、ファンに愛されているため、人気を集めるのであり、プリンスが本当にポップ界に君臨したいと思うのなら、そういう代表曲を書くべきだと答えた。
 
 1982年12月、プリンスはシンシナティのリヴァーサイド・コロシアムで、サウンド・チェックを行う中、レヴォリューションのメンバーに新しいバラードのコードを伝えた。
 メルヴォワンが語る。「彼は、曲のアイディアをもって、入って来たのよ。そして、はっきりと言ったわ。『これを物にする必要があるんだ。つまり、このコードじゃなきゃだめだし、このテンポじゃなきゃだめだ』ってね。その後、彼がキーを指示して、私たちはジャム・セッションを始め、あのオープニングのコード・シーケンスを思いついたの。まったく偶然、生まれたのよ」
 言うまでもなく、そのジャム・セッションが、≪パープル・レイン≫の第一歩だった。歌詞やタイトルがつけられるのは、数か月先のことである。

 メルヴォワン(ギタリスト)は、プリンスがバンドに伝えたコードを弾き、それらを展開させて、サスペンションを用いた。聴き手が、その構成を理解できようが、できまいが、それは、異彩を放つサウンドだった。「当時は、そういう前衛的なことをしているスーパー・ポップ・バンドが、あまりなかったわ。たぶん、アンディ・サマーズ(ポリス)以外には」と、メルヴォワンは言う。

 コールマンが、話を続ける。「ウェンディが演奏できるカントリー風のイントロを、彼はとても気に入ったのよ。その後、バンドのみんなが、ちょっと違う曲調にしたような感じだった。だけど、私がコーラスに高いハーモニーをつけると、彼は、『リサがもう一度、懐かしいアメリカのカントリー・ミュージックに戻しているぞ』というそぶりをみせたわ」

 その曲は実際、第一級のパワー・バラードの趣をもち、プリンスは、ジャーニーの≪フェイスフリー(時への誓い)≫(1983年のヒット)に似ていることに気づいた。伝えられるところによれば、彼は、≪フェイスフリー≫を書いたジャーニーのキーボード奏者ジョナサン・ケインに電話をかけ、≪パープル・レイン≫の初期ヴァージョンを、電話越しに弾いて聞かせ、バンドが類似性について騒ぎ立てないことを確認したという。

 フィンクが振り返る。「コード進行は、指示されていた。だが、それぞれのパートについては、俺たち自身が、かなり書くことになった。思えば、初めてあの曲のジャム・セッションをした時に、俺がピアノで演奏したんだよ、彼が最後に歌うあのラインを。彼がファルセットで歌うクライマックスのラインだ。あれは、俺の思いつきだった。突然、閃いたんだ。彼は、それをすばらしく歌い上げた」
「≪パープル・レイン≫のコーダ? 俺がちょっとしたピアノ・リフを弾く部分かい? あれは、リサのおかげだ。彼女があのワザを俺に教えてくれたんだよ。右手と左手で、まったく別のフレーズを演奏しているんだ、対位法で。彼女が、あのリズミカルな超絶テクニックを知っていて、それがすごくクールだと思ったから、『教えてくれ』と言ったんだ」

 プリンスは歌詞に関して、新しい友人の協力を得ようとした。フリートウッド・マックの魅惑的なシンガー、スティーヴィー・ニックスは当時、ソロ・プロジェクトに取り組んでいた。彼女が、プリンスに電話をかけ、≪リトル・レッド・コルヴェット≫に合わせてハミングしながら新曲を書き、彼の名をクレジットするつもりでいることを伝えた上で、セッションに加わり演奏するよう求めた。

 プリンスは1時間後に、ロサンゼルスのスタジオに現れ、その曲≪スタンド・バック≫は、大ヒットした。
 ニックスは、プリンスとの共作を熱望した。プリンスは、それに応えて、進行中のバラードのカセットを彼女に送り、歌詞をつけるよう勧めたのである。

「その10分の曲は、本当に圧倒的だった。私はそれを聞き、怖気づいたの」と、ニックスが後に、ミネアポリス・スター・トリビューン紙に語っている。
「私は彼に、電話をかけなおして言ったのよ。『書けないわ。書ければと思うけど。私には、書ける気がしないの』って。私が書かなくて、本当によかったと思うわ。彼が歌詞を書き、それが、≪パープル・レイン≫になったんだもの」

『Let’s Go Crazy : Prince And The Making Of Purple Rain』By Alan Light
訳:中山啓子
[次回2/22(月)更新予定]