姜尚中(カン・サンジュン)/東京大学名誉教授・熊本県立劇場館長兼理事長。専攻は政治学、政治思想史
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 政治学者の姜尚中さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、政治学的視点からアプローチします。

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 2期にわたる小池都政を振り返り、これからの都政を考えるとき、唐突かもしれませんが、アングラ演劇の「紅テント」主宰の唐十郎さんの言葉が頭をよぎります。かつて唐さんはいかにも彼らしい物騒な喩えで「今に新宿西口、焼け野原になる」と豪語したそうです。本当にそう言ったのかどうか、判然としませんが、唐さんならありえるかもしれません。彼なりの独特のメタファーで、生活や暮らし、息遣いや気配が感じられないコンクリートジャングルを「焼け野原」と称したのだと思います。唐十郎という人は、アングラの、人間臭さが発散する身体劇の人です。「紅テント」は、人間の汚物やいやらしい面も含めて、人間の生々しい生きざまが感じられる空間だったに違いありません。

 これに対して2期にわたる東京・小池都政が求めてきたものは、どこまで行っても「開発」でした。要するに、小池都政が目指したのは、東京23区、というかその中心部の集積された場所を、新宿西口のような空間にすることだったと思います。神宮外苑をめぐる「開発」を見れば、それは明らかです。私には小池都政は、東京の中心を、日本列島を睥睨(へいげい)する「シンガポール」に変貌させているように思えてなりません。シンガポールは、競争力があり、外資が安心して投資できる場所です。軽犯罪にも厳罰を科し、犯罪率も低く、理想的な都市国家に見えます。しかし、10年以上前、シンガポール在住のある学者から、自分はシンガポールにいると息が詰まりそうで、東京に行くとホッとするという話を聞きました。このエピソードは、東京が都市としてどんな魅力を大切にしなければならないかを示しています。「開発」に明け暮れるのではなく、「人間の顔」をした東京こそが魅力ある東京に違いありません。

 知事選の争点の一つとなった神宮外苑の緑、水道の民営化──緑や水を安心して人々が享受でき、人々の息づかいが感じられる都市こそ、東京のあるべき姿のはずです。個性も魅力もなくなり、都心の集積された場所だけが「巨大なシンガポール」と化す東京。唐十郎の喩えは先見の明があったというべきでしょうか。

AERA 2024年7月15日号