公式YouTubeチャンネルから
公式YouTubeチャンネルから

「大学の4年間と養成所の1年間で、芸人として売れるのは自分たちではない、と結論づけました。プロ芸人としてテッペンを取りたいっていう執着もなかったかもしれない」(同)

青木さんは新卒採用で保険会社に入社。広島県内で4年間、営業職で勤務した。14年に調布市役所に転職して間もなく、10年で終了していた「M-1」が15年から復活されることが決まった。

「もう一度、挑戦しないか」

都内で社会人生活を送る相方にそう言われ、「社会人芸人」として本格始動した。目標は「M-1」の3回戦進出。週末にレンタルルームでネタ合わせし、社会人お笑いライブにも出演して芸を磨いた。しかし15年以降、毎年エントリーしている「M-1」は1回戦敗退と2回戦敗退の繰り返し。ただ、3回戦に進出してもプロに転身するつもりはない、と青木さんは言う。

「芸人さんは芸人の仕事に命をかけています。僕は当然、芸人さんをリスペクトしていますから同じ土俵に立つのは失礼かなと思っています」

社会人としてお笑いを続けるモチベーションは何なのか。

「テニスや野球を趣味で続けている人と同じで、お笑いが好きだからです。人気者になりたいというよりも、自分でネタを考えて、表現するのが好きだからやっています」(同)

これまで作った漫才やコントのネタは約30本。そのうち半分は社会人になってから創作した。プロの芸人は「売れる」ことがすべて。だが、社会人芸人は好きな芸を自由に探求でき、息長く活動できる。そんな社会人としてのお笑いを究めたい、と青木さんは考えている。

■191組がエントリー

 冒頭の調布市の動画で青木さんの相方を演じた奥山さんは「一般社団法人社会人お笑い協会」代表理事の肩書をもつ、社会人お笑いの伝道師のような人物だ。学生時代に漫才師としてデビューした元プロ芸人。だが、プロとしての活動は1年で見切りをつけた。

「売れないな、と思ったからです。テレビに出ている同世代の売れっ子芸人を見ていて、彼らには自分にないものがある、と気づいたんです」(奥山さん)

次のページ