現在は全国ツアーまっただ中の沢田研二
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 現在、 全国ツアー「LIVE 2024『甲辰 静かなる岩』」で各地を駆け回っている沢田研二(75)。近年はライブに精力的だが、テレビの歌番組が全盛期だった昭和の時代、画面の中の沢田研二は本当にかっこよく、そして、美しかった。そんな沢田研二の数多くの名シーンの中から、特に「珠玉」の場面を人気音楽評論家スージー鈴木氏がセレクトした。

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「セブンスターショー」(TBS系)

 スージー鈴木氏が最初に挙げた番組は、1976年2月15日放送の「セブンスターショー」(TBS系)だ。

 “セブンスター”はタバコの銘柄で、日本専売公社(当時)の一社提供番組。1回の放送で基本、1人の歌手を取り上げる構成で、荒井由実や吉田拓郎なども出演したが、その初回が沢田研二だった。

 たっぷりと沢田研二を味わえる番組なのだが、特にスージー鈴木氏が挙げるのは「いくつかの場面」の歌唱シーンだ。

「『いくつかの場面』という曲を歌いながら、途中で泣き出すんです。この曲で泣くのは、美空ひばりが『悲しい酒』を歌いながら涙を流すのと同じく、ある意味“定番”で、2008年12月、東京ドームで行なわれた沢田研二の還暦記念コンサート『人間60年 ジュリー祭り』でも、この曲で泣いたし、そもそも1975年リリースのスタジオ録音版でも感極まっているように聴こえる」
 

 涙を流すには理由があると、スージー鈴木氏は解説する。

「『できるなら もう一度僕の回りに~』、自分の元に集まってきて……という歌詞なのですが、歌っているときに、沢田研二の頭の中では、ザ・タイガースのことが思い出されていると、私は思います。

 様々な角度から調べると、沢田研二はザ・タイガースを解散したくなかった。京都の幼馴染とバンドを続けたかったという意志があったように思います。だからこそ『セブンスターショー』や還暦のコンサートのときに泣き出したのではないかなと」

 歌唱中に泣くほど気持ちがこもる曲だが、作詞は沢田研二自身ではなく、シンガー・ソングライターの河島英五氏によるもの。それでもまるで沢田研二自身が書いたようだとスージー鈴木氏は言う。

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なんとカメラが涙一粒一粒を!