権力に近いところにいく女性を「見た目は女だけど中身はオジサン」と批判する人は多い。それでも私は小池さんは「中身はオジサン」の権力者ではないと考える。小池さんは“女として”、男が女に持つ幻想や男の弱みをよく理解し、その幻想を差し出してあげられる力がある女性だ。その時々に男が求めているものを的確に差し出し、フツーの男は怖くてやらない(中身がオジサンの女もやらない)絶対権力者批判を敢えて絶妙のタイミングで行い、そのことによって権力を自らの手に収め、男たちを恐怖させ、女性票も手に入れる。そんなふうに小池さんは人々の欲望を生きてきたように見える。そもそも1970年代にカイロ大学を首席で卒業した国際派の日本人女性がいた……という物語は、小池さんの自己顕示欲からはじまった嘘だったかもしれないが、そういう人が“いてほしい”という当時の日本社会の欲望にもマッチしていたものだったのかもしれない。

 30歳の小池さんが記した『振り袖、ピラミッドを登る』を読むと、エジプトでの生活が活き活きした筆致で描かれている。特に生理について書かれた章は、女性史の貴重な記録としてついつい読み込んでしまう。“処女性を大切にする”というエジプトの女性に対し、当時発売されたばかりのタンポンを積極的に使い、エジプト女性たちに「女性の解放につながる」と薦める若い小池さんの心意気に私は心から共感する。女の実感が書かれている箇所は、“カイロ大学時代”のふんわりしたエピソードとはまるで違う鮮明度で読者に響く。エピソードの達人でもある小池さんは文筆家としても成功したのではないかと思うほどに。

 改めて小池さんは政治家になるべき人だったのだろうかと考えさせられる。小池さんが手にした権力は、女性に希望を与えただろうか。男たちの幻想が投影されている小池さんが手にした「女性初」は、眩しさよりも“まがまがしさ”が先に立つように見えるのは、私だけだろうか。

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