付け出し資格を逃した理由はひざのケガ。故郷の青森県から相撲留学して進んだ強豪・鳥取城北高校で1年からレギュラーとなったが、2年時に左ひざ前十字靱帯(じんたい)断裂の重傷。復帰して3年の夏のインターハイで3位に入ったが、秋の国体で再び負傷。名門・日大に進学後も、逆の右ひざも痛めるなど苦しみ、タイトルゼロに終わった。不完全燃焼の思いが残った。
心のよりどころとなったのが横綱照ノ富士。鳥取城北高校の先輩は、ひざのケガを乗り越え奇跡の復活を遂げて頂点をつかんだ。その姿に憧れ、同じ伊勢ケ浜部屋に入門。大きな背中を追って番付を駆け上がった。
2差の単独首位で迎えた春場所14日目、勝てば優勝決定の朝乃山戦に敗れて右足首を負傷した。車いすで運ばれ、救急車で病院に搬送されるほどの重傷だ。まだ1差の単独首位で、千秋楽に勝てば優勝だったが、本人も一時、出場をあきらめた。
しかし、宿舎で照ノ富士から「お前ならやれる。記録じゃない、記憶に残せ。勝ち負けじゃない。このチャンスはもう戻ってこない」と声を掛けられた。その瞬間、体に力がみなぎり、歩けるようになったという。千秋楽は敢然と土俵に立って豪ノ山を押し倒しで破り、優勝を自らの手で勝ち取った。敬愛する横綱の存在あってこその快挙だった。(相撲ライター・十枝慶二)
※AERA 2024年4月8日号より抜粋