林家木久扇さんの「笑点」卒業まで、24日放送分も含めてあと2回に迫った。がん闘病をへて、復帰した木久扇さん。「実は最初から落語家になりたかったわけではありません」と過去のインタビューで明かしていた。そこからいかにして笑点の人気メンバーになったのか。花道となる放送に合わせて、2022年5月31日に配信した記事を再配信する(年齢、肩書等は当時)。
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人気長寿番組「笑点」で、元気すぎるキャラとして全国のお茶の間で長年愛され続けている林家木久扇さん。二度のがんを克服、84歳の今もなお9人の弟子を率いる師匠にお話を伺いました。
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これまで、僕のところに弟子志望で来たのは30人くらいですかね。中には親に黙って、家出同然で来る子もいますから、僕はまず「親御さんと一緒に来て」と言うんです。親を説得できなければ、大事なお子さんを預かることはできません。それで諦める子も多いですね。親御さんを連れてきたら今度は、「落語家なんて飯が食えないからやめたほうがいい」って説得します(笑い)。それでも、やりたいって言って残ったのが、今の9人の弟子たちです(ほかに孫弟子2人、孫弟子の見習い1人)。
一番弟子のきく姫は、16歳のときに落語じゃなくて僕の「いやんばか~ん」っていう歌が好きで来たっていう変わった子です。当時は弟子をとっていませんでしたし、落語の噺って「てめえ」とか「ケツまくる」とか、男が話すように作られてるから、女の子に稽古つけるのも大変。だから困っちゃいましたね。それでも、彼女は音楽をやってたので声もよく通るし、話をしていても感性がいいんです。ウチのおかみさんの厚情もあって弟子にすることに決めました。二番弟子の彦いちが来たときは、「なんで僕の弟子になりたいの?」と聞いたら、「いやー、学校が近いもので」って(笑い)。
落語家の資質っていうのは、その人の内面の面白みとか、何か心の中に“発酵”しているものがあるかどうかと思うんです。そこは、見ていますね。特に、「寿限無(じゅげむ)」とか「たらちね」などの古典落語って、誰がやっても噺の内容は同じでしょう。どんなに噺のテクニックがあっても“無菌”の人って、大きなホールで1千人以上いるお客さんを一度に笑わせることができないんです。
そんな個性的で発酵した僕の弟子たちが、入門してきた逸話をまとめたのが『林家木久扇一門本』(秀和システム)。弟子の家族や親戚、ファンの人たちも買ってくれて、けっこう評判もいいんです。