日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2024年3月18日号より。
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入社4年目の1979年から約8年、札幌市で、市営地下鉄へ納入する車両の試験走行や改善を重ねた。ここで予想外のことが起きて、ビジネスパーソンとしての道が定まっていく。
札幌市の地下鉄は72年の冬季五輪へ向けて工事が進み、71年12月に南北線が開業した。その後、東西線と東豊線が開通。どれも車両はアルミ合金製で軽く、音の静かなゴムタイヤで走る。全車両の車台が川崎重工業(川重)製で、川重が主契約者だ。
着任当初は、担当の部長と2人で動いた。と言っても、市交通局との協議をまとめる部長の鞄持ちで、ついて回るだけ。部長は交通局との会議で、電機分野を受注した会社の幹部らを両脇に従え、課題を次々に切れ味よくさばく。後ろの席にいて「すごいな」と感心していた。
年長者にも怒鳴る交通局係長の要求徹底的に実現した
ところが、1年もたたないうちに部長は本社の技術部長へ栄転、「後はきみがやれ」と言われた。会議の仕切り方はみてはいたが、想定もしていない。以後、中央に座らされ、左右にいる父の年齢に近い電機会社の部長たちが露骨に「こんな若造に仕切れるのか?」という雰囲気を出す。「困ったな」と思ったが、ともかく勉強を重ねた。
接し方が難しかった人は、交通局側にもいた。議論に答えを出す係長だ。係長は30歳くらいで、年長の電機会社の部長でも不快なことがあると「帰れ」と怒鳴る。身を縮めてやり過ごしていた間に、閃いた。父くらいの年齢の面々に言うことを聞かすには「この係長をつかまえればいい」と頷く。
以来、係長に照準を合わせ、求めていることを的確に把握して、徹夜で対応策を考え、徹底的に実現していく。相手も、正面から受け止めてくれた。両脇の面々が「あの係長を押さえられる金花はいいね」と、一目置くようになる。冬の厳しい寒さも楽しむゆとりが、生まれた。
商売相手側のキーパーソンをつかむ──金花芳則さんがビジネスパーソンとしての『源流』になった、と思う体験だ。その後のロンドンやニューヨークの勤務でも同じ。どうやら場の状況や力関係、空気などを読むのが、得意なようだった。