ブラジルを公式訪問後、立ち寄ったメキシコでテオティワカン遺跡を見学する「浩宮さま」(現・天皇陛下)。ロングヘアともみあげは当時、「男らしさ」の象徴だった=1982年10月、メキシコ

 天皇陛下は2月の誕生日に際しての会見で、能登半島地震の犠牲者への思いを述べられ、被災地訪問の意向を示した。国民に身近な存在として、距離感を意識してきた天皇、皇后両陛下や皇族方。そんな皇室の「あのとき」を振り返る(この記事は「AERA dot.」に2023年11月12日に掲載された記事の再配信です。肩書や年齢等は当時のもの)。

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 南米ペルーを訪れていた秋篠宮家の次女佳子さまが10日、ペルーとの外交関係樹立150周年の公式行事や日系人との交流など多くの日程をこなし、帰国した。約40年前、佳子さまと同じ20代で、自身初めての海外訪問として南米を訪れたのが、「浩宮さま」と呼ばれていた若き天皇陛下だ。佳子さまは華やかな振り袖姿などが注目されたが、ロングヘアでもみあげを伸ばしたスーツ姿の「浩宮さま」からも当時の様子が読み取れると、専門家は指摘する。
 

 1982年10月、「浩宮さま」と呼ばれていた天皇陛下が初めて、海外を公式訪問した。

 訪問先は、南米ブラジル。

「特にブラジル国民として発展に貢献している日系人に接し、理解を深めたいと思います」

 日本を出発する前、ブラジル訪問の抱負をこう語った。

 陛下は当時22歳。春に学習院大学を卒業して同大大学院に進み、翌年からの英国留学に向けて学びを深めている時期だった。

 現地ではブラジル大統領を表敬訪問し、昭和天皇や皇太子ご夫妻(現在の上皇ご夫妻)のメッセージを伝え、自身も「今回のご招待を深く感謝します。この偉大な国を自身の目でよく見聞きし、理解を深めたい」と述べた。外相主催の昼食会でのあいさつなど行事は続き、日系移民の中心地だったサンパウロでは600人を超える日系人の熱狂的な歓迎を受けた。
 

ブラジル・リオデジャネイロのコルコバードの丘で、キリスト像の前に立つ「浩宮さま」(現・天皇陛下)。肩パットに胸筋をたくましく見せるスーツ姿からは、その「時代」が伝わる=1982年10月、ブラジル

 シワひとつなく、パーンと張ったスーツを着た「浩宮さま」。当時の報道をたどると、まだ学生だった若い陛下が、初めての公式訪問で担った重責が伝わってくる。

 ファッションデザイナーのドン小西さんは、陛下の当時の写真から、こう指摘する。

「がっしりした肩パッドと胸筋のたくましさが強調されたような仕立ての背広。これは英国調の保守的なデザインではある。一方で、日本における80年代は、『男らしさ』『女らしさ』がより強調された時代でもありました。肩と胸板をたくましくみせる『浩宮さま』の背広は、まさに時代を反映するようなデザインです」
 

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ロングヘアでもみあげを伸ばした「浩宮さま」