自分の老いを受け入れるしんどさ
生前から「最期はペンを持ったまま死にたい」と語っていたという。
『寂聴 九十七歳の遺言』(朝日新聞出版)には、
〈徹夜した時には、たまにその時[編注:亡くなる時]の練習もしています。わざと机に突っ伏していると、まなほは、やはりどきっとするようです。彼女は怒りますが、私は彼女のふくれっ面を見て大笑いしています〉
という文章がある。
それを瀬尾さんは「死ぬ練習をしていたとは知らなかったです」と笑いながら、いかにも寂聴さんらしいと話す。
「サービス精神旺盛なので、その一環なのかな。執筆でも『涙があふれて、机に伏して泣き叫んでしまった』などと書いているときも、実際は机に伏してもいないし、泣いてもいないんです(笑)。『え? 泣いてなかったよね?』って。ドラマチックというか、こう言ったらかっこいいだろうとか、こういうふうにしたら読者に響くだろうというのを考えていたのだと思います。やっぱり瀬戸内は小説家なんですよね」
しかし一方で、晩年は書くという営みを続けていくことに苦しむ寂聴さんの姿も見てきた。
「晩年の瀬戸内を見ていて、すごく苦しい思いをしているんだろうなと感じていました。瀬戸内は、心がものすごく若いんです。なので、気持ちがどんどん前に出ていってしまう人なんですが、そこに体力がついていかないんですよね。今までだったら、徹夜して30枚書けていた原稿が、気力が出なくて、書けなくなる。実際に書いたものを読んでも、瀬戸内としては、『私、こんなつまらないものを書いてたのか、こんなんだったらやめたほうがいい』と思うような内容だったりして。最後の10年間って自身の老いを受け入れることが、本人にはしんどかったんじゃないかなと思うんです。受け入れなきゃいけないっていう状況が何度もありましたから」