そして、このような気付きが『老いの失敗学』を執筆するきっかけになりました。老いによって生じている状態と失敗が似ているのなら、失敗に注目して考察してきた失敗学の知見が、老いによって生じている問題への対処に活かせるのではないかと思ったのです。そのような視点であらためて我が身を振り返ってみると、じつはすでに失敗学の知見を当たり前のように使って老いと向き合っていることに気付きました。本の中で詳しく触れているので、興味のある方はご自身で確認してみてください。

 失敗は痛みや実害を伴うものなので、世の中からマイナスのイメージで見られ、忌み嫌われる傾向にあります。その一方で、じつは真正面から向き合うことで、人や社会の成長を促すきっかけにできるプラス面があります。数多くの失敗経験者からも話を聞きながら、失敗について分析し、つまらない失敗を避ける一方で、望まないことであろうとせっかくの貴重な経験を将来に活かすこと、そのために必要なことなどを提言してきたのが失敗学です。同じことを老いに関して試みているのが本書だと思ってください。

 老いもまた世の中からマイナスイメージで見られ、忌み嫌われる傾向にあります。しかし、本当にそういうものばかりなのか。失敗と同じく、プラス面もあるのではないか。老いの当事者としての自らの体験も踏まえて検討し、「悪い老い方」や「よい老い方」などについてもじっくり考えてみました。

 失敗に「人を成長させる」というよい面があるように、老いにも扱い方次第で人々をよい方向に導くよい面があるというのが私の考えです。たとえばそれは、多くの経験によって「ものの見方や考え方が豊かになる」というものです。

 人が行動するかぎり必ず起こるのが失敗です。本当に避けようと思ったら、一切の活動をやめるしかありません。そして、老いもまた人が生きているかぎり避けられないものです。長く生きていたら必ず経験するものですから。

 それならば目を背けるより、上手に付き合う道を選ぶのが得策ではないでしょうか。私の考えはより前向きで、これらのプラス面を知って上手に活かすことで、成長の機会にしたり、よりよい人生にするための糧にできればと考えています。年寄りが負け惜しみを言っているように聞こえるかもしれませんが、そのように前向きに考えて生きたほうが、人生が楽しく豊かになるでしょう。