承香院:男性も美しい人はさらわれることがありますよね。あと魔物とか、病気に襲われるので顔を見せないということはあったようです。でも男性が扇や袖で顔を隠すパターンの場合、別の目的があったようで、例えば喧嘩した相手や、嫌いな人がいると、顔を隠した。顔を見たくないという意思表示だったり。
砂崎:隠すための道具である女性が乗った牛車のすだれが、スキャンダルを巻き起こしたりすることもありますよね。普通の女性は牛車に乗っている時に少しでも姿を見せたくないため、すだれを二重にしたりしますが、わざと隙間を作ってチラ見させる女性もときには出てくる。それから和泉式部は、牛車のすだれを半分切って、自分のほうには垂らして見えないようにして、隣の男性はすだれを上げて見えるようにした。どういうチラ見せかわかりませんが(笑)、これがスキャンダルになったんですよね。
無難に生きるのが理想
──『平安 もの こと ひと事典』には「平安みやこ新聞」などで架空メディアの見出しがいくつか紹介されていますが、まさに格好な見出しが立ちそうですね。
承香院:それから当時は、慎み深いっていう感覚が何より大切にされていたことは、いろいろな日記などを読んでもわかりますよね。襲われないようにというセキュリティー上の問題もありつつ、慎み深い私をアピールせねば、という意図もあったと思います。
──本心で慎み深いのとは、ちょっと違うということですか。
承香院:本当に慎み深さを美徳としている貴族も、もちろんいました。その一方で、世間に慎み深いところを見せたいというタイプの人もいました。何しろ縦5キロ×横4キロ強の空間に、ほぼ生まれてから死ぬまでいるわけですから、ストレスもすごかったのでしょう。とにかくお互い角を立てないように角を立てないようにと無難に生きていくのが理想だったと思いますね。
砂崎:もうひとつ、隠す・隠れる絡みで、見ないふりという行動もあります。建物といっても、ガランとした大きなスペースに、何十人もが屏風などだけでプライベート空間を作って暮らしている。ときに隠したはずの姿が見えたりしますが、そこは扇や袖で見えないふりをしてあげるんです。
(ライター・福光恵)
※AERA 2024年1月15日号より抜粋