ソロ公演で歌う沢田研二さん=2013年1月6日、東京都渋谷区の渋谷公会堂
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 沢田研二の今年のツアーが11月23日、ファイナルを迎えた。そのライブレポートをお届けする。なぜ、いま沢田研二なのか。それは毎年のように新曲を出し、ライブを続け、ジュリーは今を生きる現役のスターだからだ。ライブ会場には60代以上のみならず、YouTubeなどの動画がきっかけのZ世代のファンもいる。75歳を超えてなお走り続ける「日本最高で最年長のロックスター」は、今回も圧巻のステージで会場を沸かせた。

【写真】すごい…入場前から熱気に包まれた会場の様子

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 2時間のステージが終わり、会場に満ちていたのは幸福感だった。11月23日、東京国際フォーラム。「沢田研二 LIVE 2022-2023『まだまだ一生懸命 PARTⅡ』」が、終幕した。

 6月25日のバースデーライブをザ・タイガースのメンバー再結集で果たし、9月から神戸、名古屋、大阪と続いた「PARTⅡ」のファイナル公演だった。

 結論から言いたい。

 ジュリーの「一生懸命」は、まだまだ、ずっと続く。デビュー当時の歌を原曲キーで披露し、ステージを右に左に走り回りながら全20曲を歌いぬく75歳なんて、世界でも稀だろう。

 冒頭の「そのキスが欲しい」(1993年)から5千人の観客は、ほぼ総立ち。元気なジュリーと再会できた喜びで一気に会場の温度が上がる。「おまえにチェックイン」(82年)、「サムライ」(78年)、「ダーリング」(同)と往年のヒット曲をたたみかけ、「勝手にしやがれ」(77年)でピアノのイントロが流れると、筆者の前の席にいた60歳代とおぼしき男性は小さくガッツポーズ。サビの「〽ア~ア~」で皆が一斉に手をひらひらと“壁塗り”して高まる一体感。「時の過ぎゆくままに」(75年)、「危険なふたり」(73年)、「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」(82年)――。新曲を重視し、過去のヒット曲を封印していた時期もあったと知る身には、「こんなにサービスしてくれるなんて……」とジュリーの思いに触れた気分で胸がいっぱいになった。そして、「TOKIO」(80年)だ。華やかなオリジナルバージョンに、もはや涙腺が危うい。

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新参者だから特筆したい「ジュリーは…」