天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子)
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「環軸椎亜脱臼(かんじくつい・あだっきゅう)に伴う脊髄症・脊柱管狭窄症」と「敗血症性ショック」で長らく入院生活を続けていた天龍さん。先日、ようやく退院を果たし、自宅療養中のところで、今回は“後楽園ホール”について語ってもらいました。

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 11月19日に天龍プロジェクトの後楽園ホール大会が開催される。俺も久しぶりに会場に行くんだけど、入院中は映像だけでしか見ていないから、選手たちの成長を生で見られるのは楽しみだね。後楽園ホールは独特の雰囲気があるから、その中でどこまで選手たちが力を出せるか、間近で見させてもらうよ。

 俺の後楽園ホールで印象深い試合といえば、真っ先に思い浮かぶのが1981年、ビル・ロビンソンとタッグを組んで、ジャイアント馬場&ジャンボ鶴田が持つインターナショナル・タッグに挑戦した試合だ。

 ロビンソンから「やれることが無くなったら俺にタッチしろ。試合を立て直してやるから、好きなことをやれ」と言われていたのと、この試合が終わったら再びアメリカに行くつもりでいたこともあって、日本では使っていなかった、アントニオ猪木さんの必殺技である延髄斬りをやったりしたんだ。

 こっちは「なんでもやってやれ!」っていう気持ちだったんだけど、そうしたら客が「下手な延髄斬りやりやがって!」なんて、妙に盛り上がって、プロレス誌でも大きく取り上げてくれた。負けはしたが俺の大きな転機となった試合だね。

忘れられないのは2000年

 そして、忘れられないのが2000年、10年ぶりに全日本プロレスのリングに復帰した日の後楽園ホールだ。(馬場)元子さん、川田(利明)、渕(正信)、(太陽)ケアがいるリングに上がったんだけど、俺のテーマ「サンダーストーム」が鳴った瞬間に地鳴りのような大歓声が上がったときは嬉しかったね。

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あの時の歓声と温かさ