帝京時代の伊藤拓郎
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 高校生投手の歴代最速は、2019年に大船渡・佐々木朗希(現ロッテ)がマークした163キロ、甲子園大会では01年に日南学園・寺原隼人(元ソフトバンク、横浜など)が記録した158キロがトップ(いずれもスカウトのスピードガンが計測)。この両人をはじめ、ランキング上位の投手の多くがプロで活躍しているが、その一方で、プロでは“未完の大器”で終わった者も少なくない。

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 今から40年以上前、プロも顔負けの最速149キロをマークしたのが、秋田商の189センチ右腕・高山郁夫(元西武、広島など)だ。

 1980年夏の甲子園、高山は初戦の田川戦で初回の先頭打者にいきなり144キロを投じると、3番打者への6球目、外角低めが149キロを計測した。

 当時はプロの現役投手でも、前年の79年は中日・小松辰雄の150キロ、80年は巨人・江川卓の149キロが最速。二人とも「信じられん。僕の高校時代は149キロなんてなかった」(小松)、「驚異的なスピードですね。おそらく僕の高校時代より速いのでは」(江川)と目を丸くした。ネット裏のスカウトからも「将来の20勝投手」(ロッテ・三宅宅三スカウト)、「ナンバーワン」(西武・宮原秀明スカウト)と絶賛の声が相次いだ。

 だが、同年のセンバツで右足親指付け根の骨が砕ける重傷を負った高山は、手術を必要としており、手術をすれば、快速球が投げられなくなる可能性もあった。

 さらに田川戦で無理をしたことで、肩と背筋に張りが出て、3回戦の瀬田工戦では精彩を欠いたまま0対3で敗れた。

「僕としては野球を続けたい」と進路に悩んだ高山は、面識のあった西武・根本陸夫監督に相談し、「(手術しても)何年でも待つ」と約束されると、日本ハムの1位指名を断って、西武系列のプリンスホテルに入社。手術後、リハビリを経て、84年のドラフト3位で西武に入団した。

 だが、高校時代の球速は戻らなかった。そこで、技巧派に活路を求め、89年に5人目の先発として自己最多の5勝を挙げたが、12年間通算12勝12敗と期待ほど活躍できなかった。

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1年生投手の最速記録を塗り替えた右腕