いまは経営の監督役で社外活動に力を注ぐ。温暖化問題に人口減、外国人子弟の教育と、社会的な課題の解決へ多忙な日々のなかで、バラの栽培を始めた(撮影/狩野喜彦)
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 日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2023年9月4日号では、前号に引き続き日本ガイシの大島卓会長が登場し、大島さんの思い出の場所である調布サレジオ神学院や母校を訪れました。

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 東京都調布市の甲州街道沿いにある国立電気通信大学の脇を北へ入ると、大島卓さんにとって家庭や学校とは別の「学びの場」だった調布サレジオ神学院がある。小学校時代、自宅から近い神学院で始まったボーイスカウト活動に参加し、サッカーのボールを追った。ボーイスカウトで得た、自分のことは自分でやる自主性。サッカーのチームで、それぞれのポジションで持つ役割を果たせるように力を高めた日々。

 この懐かしい地を今年4月、連載の企画で一緒に訪ねた。

 企業などのトップには、それぞれの歩んだ道がある。振り返れば、その歩みの始まりが、どこかにある。忘れたことはない故郷、一つになって暮らした家族、様々なことを学んだ学校、仕事とは何かを教えてくれた最初の上司、初めて訪れた外国。それらを、ここでは『源流』と呼ぶ。

 1956年7月に調布市で生まれ、両親と姉の4人家族。父の信夫さんは中学校の国語の教諭、母の昭子さんは小学校の教諭。日中は勤務で、小学校時代も中学校時代も、学校から帰ったとき家には誰もいなかった。自然、近隣の子どもたちと一緒に神学院のバザーに集まり、自分たちで遊びを工夫した。

 何でも黙って自由にやらせてくれた父、東京を離れて名古屋市の会社に就職するときに淋しさを隠して止めなかった母。両親の接し方は「以心伝心」が基本で、息子が選んだ道をのびのびと進むようにさせてくれた。大島さんはビジネスパーソンとしての歩みを振り返り、この両親、とくに父こそが自分の『源流』だ、と言う。

ボーイスカウトで星座の見方を学びリポートで受賞

 神学院の門を入ると、すぐに言葉が出た。

「ああ、この建物は前からあったな。キリスト教を勉強する学生が住んでいて、先生の神父さんも住んでいた。我々はこっちには入らないで、グラウンドに出ていろいろなことをやった」

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