経営の監督側になっても現場好きは同じ。とくにNAS電池のコスト削減には、高い関心を持ち続けている。温暖化防止に、普及の夢は捨てない(写真:本人提供)

 半世紀余りの間に外壁は張り替えられたが、たたずまいは変わらない。ここに、神学院にある教会が主体になって、調布第2団というボーイスカウトができた。神父が団長になり、高学年になると参加が認められ、遊び仲間と一緒に入る。グラウンドで週末にキャンプをやり、テントを立て、かまどをつくって飯盒でご飯を炊いた。

 星座の見方も勉強し、3、4枚のリポートを書くと、賞をもらった。班長をしたときは、メンバー6人に刺繍をしたワッペンをつくってあげた。器用で、いまもボタン付けは自分でやっている。両親は「何でも自分でやりなさい」という育て方。自由でよかったが、しなくてはならないことも多い。「自由の裏には、責任が伴う」という自主性の基本を、自覚していく。

メキシコ五輪の銅で高まったサッカー熱 高校まで部活が続く

 1968年10月、メキシコシティーで開かれたオリンピックで、日本のサッカーチームが銅メダルを獲ると、子どもたちにサッカー熱が高まっていく。その少し前にサッカーを始め、調布中学校でサッカー部へ入る。ポジションは、高校までずっとフォワード。敵陣の最前線で、シュートを決める役割を期待される。仲間がどんな展開を頭に描き、ボールを回してくるか。役割分担の重要性を実感した。

 託された役割は、ただ果たせば終わりではない。おのおのが技を磨き、もう一段上の力を付けていかなければ、戦いに勝てない。この厳しさも、サッカーで学んだ。80年に入社し、30代までに日米の工場で、集積回路に使うベリリウム銅の量産設備の更新を手がけた。成果を出せたのは、みんなが知識と経験を持ち寄って役割を分担し、腕を磨き続けたからだ。

 その後に担当したナトリウム硫黄電池(NAS電池)の開発や製造。「電気をためる」という夢のような技術の実用化で、普及に欠かせない発電・蓄電量の増大やコストダウンも、役割分担と技術力の向上があったからこそ前進した。

 2011年に茨城県で起きたNAS電池の火災事故への対応も、やはり役割分担と技術を磨くことで乗り越えた。「これ以上は無理」という姿勢が少しでもあれば、世界の先頭は走れない。

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