作家、コラムニスト/ブレイディみかこ
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 英国在住の作家・コラムニスト、ブレイディみかこさんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、生活者の視点から切り込みます。

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 ロイヤル・ナショナル・シアターで「Grenfell: in the Words of Survivors」を見た。2017年にロンドンで起きた高層住宅火災を描いた演劇だ。火災が発生したのは富裕層が住む区として知られるケンジントン・アンド・チェルシー区の低所得者向け高層住宅、グレンフェルタワー。72人の死者を出した大火災は、世界中のメディアに報道された。

 この作品の脚本は生存者たちがメディアなどで話した言葉だけで構成されている。各人の経験や人生などが俳優たちに語られていき、時に朴訥(ぼくとつ)とした作られていない言葉の数々が、観客の中にある感情を呼び覚ます。それはあの時に感じた怒りだ。

 英国では、第2次世界大戦後最悪の住宅火災となったグレンフェルタワーの外壁には、耐火性の低い安価な素材が使われていた。米国では高層住宅での使用は禁止されている素材だ。また、高層住宅であるにもかかわらず、散水で消火活動を行うスプリンクラー設備もついていなかった。多くのセレブリティーが住む区が所有する低所得者向け高層住宅は、ひとたび火災が起きれば大災害になる状況で放置されていたのだ。

 グレンフェルタワーを所有していた自治体や管理団体など、責任を問われるべき組織は複数存在する。が、調査委員会の報告は遅々とし、刑事事件として捜査は続いてきたようだが、いまだ訴追は行われていない。

 その芝居は声高に何かを訴える内容ではなかったからこそ、観客は怒った。あれだけの悲劇の責任の所在が今でもうやむやにされていることに。そしてそれ以上に、そのことをすっかり忘れていた自分自身に。

 人は忘れやすい動物だ。だからこそ次に進める側面もある。だが、時に思い出さねばならない。さっさと忘れて次に進むという行為は、必ずしも進歩を意味しないということを。

 大島新監督のドキュメンタリー映画「国葬の日」(9月公開)の試写を見た時もそれを考えた。賛否が割れたあの日をめぐる議論や騒ぎを思い出したからだ。昨年の9月27日をそれぞれに生きた日本の人たちの映像は、静かにこう問いかけてくる。

 あなたは、まだ覚えていますか?

ブレイディみかこ(Brady Mikako)/1965年福岡県生まれ。作家、コラムニスト。96年からイギリス・ブライトンに在住。著書に『子どもたちの階級闘争』『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』『他者の靴を履く』『両手にトカレフ』『オンガクハ、セイジデアル』など

AERA 2023年8月14日号

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