私は西洋人として自分を考えていますし、慣習面でもリベラルな人間なんですけれども、いま西側で見られるのは、男女の対立関係とか、敵対関係に基づいた男女関係というものなんですね。あるいは「男女には違いはない」といったような考え方。そういうものがあるわけですけれども、私は、そういったことに疑問を抱いているというわけです。
まあ、私はリベラルの人間ですけれども、ある意味、年を取ったヨーロッパ人というふうに言えるかと思います。
ただ、いま私は地政学のことを研究して、国家間の関係などを研究するのが仕事なわけなんですけれども、そういった研究をしていくなかで、なぜか男女の敵対関係とか、そういったことも研究しなければいけなくなったっていうのは、非常にばかげたというか、不条理というか、不思議な状況なわけなんです。
このままでは、世界を二つのブロックに分けて、つまりひじょうに保守的なセクシュアリティーを持った人々と、それから非常に性的に自由奔放な解放された人々、というふうに二つに分けて、それが対立するというような世界がもしかしたら現れてくるかもしれないと。そんなことも考えたりするわけです。まあ、これはあくまで冗談です(笑)。
■忘れ去られるかもしれないネオフェミニズム
池上 トッドさんはいまご自分で「年を取ったヨーロッパ人だ」というような言い方をされていました。ご自身はリベラルなんだけれど、ともおっしゃりつつ、やっぱりどこか「男女に違いはない」「性別を超えていく」というような考え方にはついていけないみたいなところを感じます。トッドさんでさえそう、と言いますか、だから意外に、ロシアの反LGBTの主張に、どこかで共感するという「世界的な世論」というようなものがあるのかな、と思います。
そういう意味で言うと、いま、LGBTを強く尊重しようというような、そういう動きがむしろ行き過ぎてしまって、バックラッシュのようなことが起きているということなんでしょうか。