「ライバルは朝日新聞」と銘打って創刊した本誌「AERA」も35周年。時代と人の息づかいを伝えてきた週刊誌の歩んできた道を表紙で振り返ります。AERA 2023年5月29日号の記事では、創刊当時を知らない記者がAERAの歴史をゆるやかにたどります。
* * *
東京ドームが生まれ、「ドラゴンクエスト3」が爆発的なヒットを記録した年。日本経済がバブルのまっただなかにあった1988年に「AERA」は創刊した。
名乗ったのは、「週刊誌」ではなく「週刊紙」。週単位の本格的ニュースペーパーという新しい領域に挑戦するという思いを込めたという。
「編集長ら7人のスタッフと喧々囂々の議論を重ねました。“七人の侍”なんて呼んでね」
当時をそう振り返るのは、アートディレクターの戸田正寿さん。創刊から26年にわたり、表紙のアートディレクションを手がけた。そして、今も使われている「AERA」のロゴの生みの親でもある。
「最初はネーミングも朝日新聞のえらい人たちでつけるという話がありました。でも、絶対にやめたほうがいいと思った」
名前は雑誌の方向性を決める大切なもの。社内で考えるのではなく、専門とする人の力を借りるべきだ。そう提案し、コピーライターの真木準さんと二人でアイデアを出しあった。
朝日新聞の雑誌だから、「A」から始めること。それを起点に50ほどの案を書き出した。
「そのなかに『AERA』という言葉があった。これだと思ったし、プレゼンテーションでも満場一致でした」
■シンプルなほど難しい
名前が決まったあとは、ロゴのデザインに取りかかった。コンセプトはベーシック。華美なものではなく、オーソドックスでありながら、個性的なロゴがいい。意識したのは、アメリカの「TIME」や「LIFE」などのニュース雑誌だった。
「凝ることはいくらでもできる。でも、シンプルほど難しいものはない。『LIFE』なんてものすごく簡単なのに、あんなに美しい文字はありません」
ロゴづくりにおいて、考えたことがもう一つある。最初につくったもので終始するのではなく、表紙や時代によって変化させること。戸田さんは、
「5年かけて仕上げる」
とも伝えたという。実際、本誌を並べてみると少しずつ変化しているのがわかる。今は左右にある鋭くデザインされたAの文字も当初は左だけだった。文字の間隔や太さもよく見比べると微妙に違う。