《原爆の残虐性を伝える多くの展示を目の当たりにすれば、「核のボタン」を押す権限をもつ為政者の判断に影響する。そんな懸念を核保有国は抱いていたとの見方も日本政府内にはある》
これは、核被害の残虐性を見てしまうと核のボタンが押せなくなる──という理屈だ。人権、自由、民主主義を標榜するG7の核保有国(米国、英国、フランス)の最高指導者が、そんな理屈を受容してしまっているのだろうか。
米ソ冷戦期にレーガン米大統領との間で「核戦争に勝者はない」と合意し、初の核軍縮を実現して冷戦終結につなげたゴルバチョフ元ソ連大統領の生前の言葉を思い出す。筆者が2019年12月にモスクワでインタビューした時のことだ。ゴルバチョフ氏はこう語った。
「核戦争は許しがたいものだと考えている。それを始められるのは理性のない人間だけだ。国家首脳にとって不可欠な訓練の時でさえ、いわゆる核のボタンを私は一度も押さなかった」
ゴルバチョフ氏は核抑止論も否定していた。だからこそ、演習の時でさえ核のボタンは押さなかったのである。
核のボタンが押せなくなると困るから資料館の視察を抑えるという理屈は、核抑止論から生まれる。残虐な兵器であればあるほど核抑止論にとっては好都合だからだ。それこそ、専門家から「リアル」と称される野蛮な核抑止論の姿だ。G7がそれを前提に結束していることが、図らずも資料館を目隠しすることによって可視化された。
(朝日新聞編集委員兼広島総局員・副島英樹)
※AERA 2023年6月5日号より抜粋