上野公園でのお花見にて
上野公園でのお花見にて
上野こども遊園地
上野こども遊園地

 4月になり、ついこの間咲き始めたばかりだと思った桜もあっという間に散ってゆきました。
 区切りを迎えた方も、装い新たに新生活を送られている方も多いことと思います。
 しかしあれですね。私はほんの最近まで散りゆく花を見れば、
「花よ綺麗とおだてられ 咲いてみせりゃすぐ散らされる、かあ。はぁ~あ。」などと無駄に杞憂した気になって、肝心の花には見向きもしなかったわけですが、どういうわけだか今年の私ときたら桜がありがたくて仕方なくって、20年以上振りに母親と2人で上野公園の大行列に飲まれながらお花見をしてきました。
 確か、開花宣言のあったすぐ後に出掛けたので
「まだまだ咲いてなくて空いてるよきっと。」と気軽に出向いたものの、上野駅のホームの時点からもう混雑でびっくり。そもそも「開花宣言」なんてものを気に留めてこなかったので、どこかしらの桜の木の花が五輪だか咲くと開花宣言がされるとニュースで言っていたのを見聞きして、その宣言からほんの2、3日で花なんかそんなにたくさん咲くものかと思っていたので、ホームの混雑を見て、花見に燃やす日本人の情熱はこんなに熱いものだったのかと少し面食らいました。
 人混みの改札を出る前からさっそく心が折れそうになりぶーぶー言ってみたりもしましたが上野公園に向けて歩を進めていくと、花曇りの空の間からうそじゃなくキラキラした細い光が差して、本当に優しい桜色が一面に広がっていました。
 味覚にまで連動してしまいそうな色彩に「花はこんなにすてきだったのか」とびっくりしたものでした。
 公園の隅にある小さな小さな遊園地は、私が三つか四つの頃に連れて来てもらったことがあるのをかなりはっきりと覚えていました。
 20年以上振りに訪れてみた小さなこども遊園地には、これまた小さな遊具に列を作るおちびさんで、黄色い花がたくさん咲いているようでした。

 木の芽時にはなんとやら、なんて言いますが、私はとっくに進級なんて関係なくなって久しいし、職種的にも年度という感覚は実質ほとんどないのですが、やっぱりこの時期はふわふわソワソワなんとなく気持ちが良くて楽しい気がしてみたり、完全に無意味に切ない気持ちになったりするものですが、何だか最近は演奏をして生活を営むということに今更急に実感が湧いて、やれ買い物をするんでもなんだか前より楽しくなってきました。

 もう音楽を仕事にして10年も経ちますし、高校を卒業してから家を出て自分で生活してきたのだから、とそれを自分の中で糧にしていた部分もあって、もう音楽と生活とはとっくに溶け合っていると思い込んでいたのですが、なんでか本当に、急に自分の音のひとつひとつが皆さんに届くことでそれが評価されて積み重なってゆくものなのだなとしっくり来てしまったら、視野が広がったように感じました。それがなぜなのか、どう変わったのか。

 つまるところ、お金という言葉を使わずしてこの手の話をするとただぼんやりとキレイなだけの話しになってしまうのもつまらないので最近感じ方の変わった話でもしようと思います。

 私はマンガ大好き人間で、中でもやっぱりアウトローものと言うんですか。そういうジャンルのマンガが好きなんです。そんなんだと当然もれなく『闇金ウシジマくん』の大ファンなわけですが……。
 まずウシジマくんが23歳であるという設定にも軽く引いて、いつの間にか自分がとっくにウシジマくんより年上になったことにも割と引くのは置いておいて、ウシジマ社長は街の闇金業者社長。強面でハマーなど乗り回し、都度債務者が警察に走ると騒いでも「別にいいよ。俺はお前からきっちり全額回収するまでだ。」と言い切る23歳ですが、当然周りはブイブイ言わした人たちばかりの中で社長本人は意外と女気がなくウサギを愛する意外な一面を持つウシジマ社長。もちろんあくまでフィクション・マンガですよ。
 様々、というかかなり特殊な業界の人たちから、普通のサラリーマン、フリーター、タクシー運転手など、いろいろな人間模様の中で回るお金についての問題に、ウシジマくんがあくまで金融屋として絡んで物語が進行していくシリーズ完結マンガです。
 色々な業界に触れて物語を進行させるマンガは数あれど、『闇金ウシジマくん』はその丁寧な取材力からなるであろうかなりリアルな現場感や人間関係が見どころだと思っています。
「タブーに斬り込む」だとか「過激である」ということだけに甘んじない作者のこだわりというのか、もはや情熱がうかがえる素晴らしい作品です。
 ……『闇金ウシジマくん』の紹介に熱が入りましたが、そんなウシジマくんがいつか、「金が全てじゃないが、何をするにも金がいる。」という様なセリフを言っていました。
 いつかかなり若い時に、同じく早く独立した友人が、「息をすんのにも金がかかるようだもんなあ……」とこぼしたのを思い出すようでした。

 ホント、なにもお金がかかるのは、やれ夜景の綺麗なレストランで食事してみるだの、細くて高いヒールのパンプスを買うときだけではないんですよね。

 私はお嬢さんじゃないし、そんなこた最初っからわかってるつもりでしたが、この春に急にすとんと地に足がついた感じがしてからはお金というものに対する自分なりの価値の見出し方に一種喜びのようなものを感じています。

 1万円札1枚の原価はもちろん1万円ではないし、じゃあ純金が手堅いか?というと粗方間違いないのでしょうが、極端な仮定をするとして、将来誰1人金を欲しがらなければただのキラキラの塊でしょう。
 預金口座からやり取りした事を印字してある預金通帳なども、ただの数字の足し算引き算を印刷してある手帳でしょう。
 でもそれらを人は財産と呼んで、世界中でみてもそれらで素敵な品物と交換ができる。ただの数字や紙切れなのに、それこそイケてる店でディナーができて、ルブタンの限定パンプスだろうがなんだろうが、ゲットしている数字が大きければ、なんだってその数字からの引き算だけで交換ができる。ゲームみたい。
 ちっとも詳しくないですが、ビットコイン云々という問題も、なにを価値として信用するかの個人差で、そもそも貨幣価値という絶対なようでちっとも絶対でない“信用”だけで成り立つ概念の崩壊、という意味では、本当のお金が世界的に暴落することだって過去何度もあるわけですし、ざっくり言えば他人事ではないんだろうなあ、と思います。

 そんな程度のことはちょっとませた中高生ならもっと詳しいでしょうが、私が中学生で働き出した時、自分が一晩演奏させてもらって握り締めた千円札の枚数というのと、お客の人数、演奏者の人数、お店の取り分。千円札1枚の価値。それから、自分の演奏、存在の値段。
 これらがただの算数では片付かないことに気付いていたのに、結局「じゃあアレだ」と陰謀論を楽しんだりして目をつむり、千円札の枚数を増やす努力を始め、それが5千円札になって、1万円札になって。やがて大人が間に入るようになって、お金そのものではなく、自分の月の価値が口座の数字になった頃には、自分の一晩の値段、ましてや一音の価値などは気にする事ではなくなっていました。
 私の場合はそれはそれで特に問題はなかったのですが、ずっと自分の中でお金は刹那的な存在で、なくなるのも増えるのも自分次第、と割り切ったような振りをしていたように思います。

 このところ、風に吹かれて空など仰いで毎日ジョギングなりをするようになったら、少しずつ長く走れるようになったりするのと同時に、お腹の空くの、なにを食べるの、なにを作るの、という一見当たり前のことがようやくフィットしてきたような気がしています。
 そうしていると、お金とはもっとかわいらしい存在で、自分の味方なだけな、ごく気軽な気持ちになってきました。

 これも木の芽時の一時の自己満的なブームにすぎない思考なのかもしれませんが、気楽な気持ちになれるならどっちにしても儲けものでしょう。

今回で、ここでの私の記事は最後となりますが皆さん引き続き、あくまで気楽に春を楽しんでいてください。では。

矢野沙織

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矢野沙織 Live Schedule

05.04 那覇 みなとJAM2014
05.18 那覇 Parker's Mood
05.25 東京 STB139 スイートベイジル
06.06 目黒Blues Alley Japan
06.08 西新井カフェクレール
06.11-12 名古屋STAR★EYES 2Days
06.14 京都 清水寺 圓通殿
06.14 京都RAG
06.16 大阪ミスターケリーズ
07.05 那覇 Pino's Place 30th *Guest
07.25 静岡 ライフタイム
08.28 広島 JUKE

詳細はオフィシャルHPより
http://www.yanosaori.com/
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