写真評論家によるこの本は上下巻とあるが、上巻(1848~1974年)だけでも充分に面白い。後に下巻(1975~2013年)も買いましたが、読んでいて思うところが多いのは上巻のほうだったので、今回はそちらで行きます。
まず、パラパラとページをめくって“日本の写真史における、最初期(幕末)から70年代の写真”を見る。それだけで山ほどの感想が湧きでる。いちばんは「写真て、ぜんぜん古くない(=ぜんぜん新しくない)」ってことだ。
もっとも古い写真に、島津斉彬(なりあきら)の肖像写真があって、あまり鮮明ではなく傷もたくさんあり、それがいかにも古いと感じさせる写真だ。でも、よく考えると、こんなピンボケ写真は現在の私がよく撮ってしまうし、傷に至っては「写真にこういう傷をつける」アプリなんてのが何種類もあったりする。島津斉彬が今ひとつのルックスなので「古さ」が増長されているが、これがイケメンで目に力のある被写体だったりしたら、今に通用するカッコイイ写真としてもてはやされるだろう。
19世紀末~20世紀初頭に撮られた風景写真の、異様なまでの質感はなんなんだ。絵だか写真だか、現実なのか幻なのかわからない、見ていてクラクラくるすごいやつがある。「田原坂弾痕の蔵」っていう写真なんてすごいですよ。立ち読みでいいから見てみてほしい。これが前々世紀に撮られてる写真か。
今日ならギャラリーで展示されてるような、「板塀」とか「農民の手」とか「傷跡」とか「廃墟」とかの写真も、思った以上に昔からある。それがぜんぜん古くない、というか今撮った写真といわれても気づかないだろう。なんと古びないセンス、と驚くと同時に、写真って今もこのセンスなのか、とも思う。
つまりは、写真の新しさ古さってのは、被写体の新しさ古さ以外ないんだろうか、と考えこまされて、面白いような不安なような気持ちにさせられるのである。
※週刊朝日 2014年1月31日号