ライカを愛する鎌田さんのカメラは右から、エプソンR-D1、ライカM4、リコーR8、リコーGR21。中央のレンズは、フォクトレンダー ウルトラワイドへリアー12ミリF5.6。手前は右から、KiroroのCD「Wonderful Days」のライナーノーツ、Mizrockの写真集「An Ordinary Days」。いずれも鎌田さんの撮影による
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小雨のなか、傘を差しながら撮ったベルサイユ宮殿の庭。ライカは条件が悪ければ悪いほど力を発揮するという
オランダ・アムステルダムのスタジオで、パリスマッチのプロモーションビデオ撮影の合間にエプソンR-D1でとらえた。室内の薄暗い照明を生かしてアーティストの表情や肌が繊細に描写されている
ライカの描写力が鎌田さんに衝撃を与えた最初の1枚。雨上がりのフランス・カンヌの濡れた舗道、曇天の雲、人影、背景の街と海、山並みがまさにその場いるような感覚で迫ってきたという

――最初に使ったカメラは?

 中1のとき、父親のオリンパスペンです。家族旅行では、ぼくがカメラを独占していました。ハーフサイズだから72枚で撮りがいがあったな。でも、いま思えば完全にムダ撮りですね。松島に行けば、島一つひとつにカメラを構え、蔵王なら同じ火口を角度を変えて何度も撮る。子供だから、限度を知らないんです。しかも景色ばかりで、家族は一枚も写していない。現像があがってくるたびに、「何やってんだよ」って父に怒られてました(笑)。ただ同じころにギターを始め、音楽にのめり込んでいくとともにカメラからは離れてしまいましたね。

――いつ復活したのですか?

 30代の半ばです。高校2年でバンドデビューして以来、音楽業界にどっぷりでカメラどころではなかった。とくにジャニーズ事務所で少年隊やSMAPの音楽制作にかかわるようになってからは、ツアーに付いて全国行脚。忙しすぎて、23歳から35歳までの間は記憶がない(笑)。そんな超多忙な時期を脱したのが、Kiroroのプロデュースを始めた2000年くらい。ライナーノーツに使う写真を、ぼくが撮ることになったんです。「アーティストと顔なじみの鎌田さんのほうが、自然な表情が撮れる」と頼まれて、「いいよ」って軽いノリで。

 当初はEOS7で、広角にしてフィルターをつけてというパターンでした。表情もいいし、きれいに撮れるけど、どうも思いどおりのイメージにならない。それでKiroroのプロモーションビデオを8ミリで撮ろうということになって、新宿のフジヤカメラに8ミリカメラを買いにいったんです。ちょうどライカのセールをしていて、おじさんたちがショーウィンドーに群がっていた。その脇にライカの撮り方を解説した入門書があって、手に取った瞬間、「これだ!」とひらめいた。今までに見てきたカラー写真とは明らかに違う、独特のにじみが出た色彩。ぼくが撮りたいのはこういうのだよって、すっかり魅せられてしまった。それで、とりあえず解説書を買って勉強しました。安売りといっても、8ミリカメラよりはるかに高いですから(笑)。国内のネットオークションでも20万円近くする。結局、海外のオークションサイト「eBay」で探して、13万円前後で買ったのが今も愛用しているM4です。

 手に入れてからは、海外に行くたびに風景を撮るようになった。カンヌを撮ったときは、現像した瞬間びっくりしましたよ。曇り空が、現地でぼくが見たとおり、感じたとおりに表現されている。適当に撮ったのに構図をバッチリ決めたEOSより、はるかにいい(笑)。薄曇りや雨のときは、ライカの表現力が圧勝。ドイツ車が雨や雪のときに真価を発揮するように、ライカも悪天候という条件にあわせて進化してきたんでしょうね。

――すっかりお気に入りですね。

 本当にそうですね。その後ライカばかり4台買って、カメラ好きの友人からライカマウントのレンズが使えると教わってエプソンR-D1を買い、フィルムのリコーGR1、GR21そしてGRデジタルともうキリがなく……。

 被写体はやはり風景ですね。古い建物が多い下町や、神社仏閣が好きなんです。完全オフが一日もないほど忙しくても、わずかな暇をみつけてはカメラを持って外に出る。地方に行けば、朝6時に宿を抜け出して、集合時間の前にブラブラする。先日、大阪に行ったんですが、南海電車に乗って高野山まで登りました。音楽の仕事って人に元気を与える仕事だから、つねに気を蓄えておかないと、いいものが作れない。ぼくにとっては、カメラと散歩が貴重な充電時間。アーティストたちも、煮詰まると「鎌田さん、気をください」ってぼくのところにやって来る。彼らにいつでも元気を分けてあげるためにも、カメラはなくてはならない存在です。

※このインタビューは「アサヒカメラ 2008年11月号」に掲載されたものです

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