“神武以来の天才”と言われた棋士の加藤一二三(ひふみ)が、羽生の“天才”を論じる、天才から見た天才論……という本ではない。もちろん羽生についても論じているが、これは「加藤一二三の“天才”を楽しむ本」です。
自身の“神武以来の天才”説についてマジメに論じる。自分のことを「天才」と言ったことはないが、正直に言えば思ったことはあるそうだ。ムズカシイ局面で好手、妙手を発見したときに「もしかしたら、自分は天才じゃないか……?」と。掛け値なしに、虚心坦懐に、謙虚に自分の将棋を見つめた結果、そう思ったという。
こうなると往々にしてイヤミな方向に行ってしまうものだが、そこは加藤さん、将棋棋士は天才業である、と言った大山十五世名人の言葉を引いて、トップ棋士は「『天才』と呼んでもさしつかえない」ので羽生も「天才」で間違いない、となって天才の範囲が広くなる。しかしそれで天才の安売り感はまったくなく、ますます「将棋の天才って、そのへんのヒトにはわからないほど大きいのだ」という気持ちにさせてしまうのだった。
加藤先生(と呼びたくなる)はとにかくマジメで、何か事がおきた時もそのことをまっすぐに見つめて、深く考え、すべて納得なさっているようだ。その納得は加藤先生の天才の頭の中でなされたもので、凡人にはわかりづらいところがある。でも、わからなくても「天才とはこうなのだ」とこちらもなんとなく納得したような気にさせられてしまう。対局で、二手連続で指して反則負けをした時のことを詳しく書いてらっしゃる。そのとき加藤先生は「どういうわけか現実感がなかった」そうで、その理由を「(対局相手の)森内(俊之)さんが着ていたモスグリーンの背広がその原因だった気がする」と言われてしまうのだから。でも私は納得した。
「加藤先生の加藤先生ぶりをおそれながら凡人が楽しませていただく」という、まさに天才鑑賞の書である。
週刊朝日 2013年5月17日号

