2014年10月、ウクライナ東部の都市サボリージャのレーニン像に民族衣装が掲げられた。ウクライナとロシアの融和への願いが込められている(写真・朝日新聞フォトアーカイブ)

 一方、ジョージアでは、親露地域のアブハジアと南オセチアが分離独立を求め、08年、ロシアはアブハジアと南オセチアの保護を名目にジョージアへ侵攻。ロシア軍はジョージア軍を圧倒し、停戦後にはアブハジアと南オセチアを国家として承認した。

 新欧米派政権で政治的混乱が続いたウクライナでは、10年に再び親露派のヤヌコーヴィチが大統領に就任した。ロシアに配慮した政策に激しい抗議デモが巻き起こり、ヤヌコーヴィチ大統領の亡命で政権は崩壊する。ロシア系住民の多い東部地域では反発が高まった。ここにロシアが介入し、クリミア半島に侵攻。ロシアへの編入を宣言する。結果、ウクライナ領であったクリミア共和国とセヴァストポリ連邦市がロシア連邦の連邦構成主体に加わった、というのが、ロシアの主張だ。

 しかし、欧米を中心とした国際社会の見方では、ロシアのクリミア半島併合問題は未解決。連邦構成主体は83という見方が支配的となっている。

(構成/生活・文化編集部)

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