中田の引退後、日本サッカー界のスターになったのは本田圭佑だった。21歳で海を渡り、オランダのVVVフェンロからロシアのCSKAモスクワを経て、2013-14シーズンの冬の移籍でイタリアのACミランに加入した。当時27歳。次々と監督が交代する“迷走期”の中で背番号「10」を背負ったが、在籍3年半でリーグ戦通算81試合出場9得点。時折、“黄金の左足”で豪快なゴールを決めたが、出番を失う期間や出場しても現地メディアから酷評されることが多く、「ビッグクラブ」ミランでは期待値を上回る活躍をすることはできなかった。
香川真司の判断は難しい。ドイツ・ドルトムント時代のパフォーマンスは誰もが認めるところだが、今夏にマンチェスター・シティへと移籍したハーランドの事例を考えても、ドルトムントは「ステップアップクラブ」であり、香川が2012年の夏に23歳で移籍したマンチェスター・ユナイテッドこそ「ビッグクラブ」だろう。そのマンUでのプレミア初年度は、故障離脱こそあったが、2013年3月3日のノーリッジ戦でハットトリックを決めるなど、リーグ戦20試合で6得点4アシストと上々の働きを見せ、チームもリーグ優勝。しかし、ファーガソン監督の勇退とともに立場が暗転。モイーズ体制となった2シーズン目は出場18試合無得点と大きく期待を裏切り、3年目の開幕直後に事実上のチーム構想外となってドルトムントへ復帰。結果的にマンU移籍は成功とは言えないものになった。
この中田、本田、香川の“苦戦”を考えると、長友佑都の奮闘ぶりは改めて称賛されるべきだ。2010年夏にイタリア・チェゼーナへ移籍すると、その冬、前シーズンにイタリアのクラブとして初めて主要タイトルの三冠を達成したインテルに引き抜かれる形で加入。当初は懐疑的な目を向けるサポーター、メディアが多数を占めたが、他の追随を許さない運動量と逆境を跳ね返すメンタリティで自身の実力を証明し続けた。