勤番侍は「お上りさん」のようなもので、江戸の事情には疎かった。蕎麦屋に入って、盛りそばに汁を掛けて食べてしまうことは珍しくなかったという。かけ蕎麦は知っていても、江戸発祥のもり蕎麦の食べ方は知らなかったのだ。

 江戸の事情に疎いゆえの笑い話だが、トラブルに発展することも少なくなかった。市中の評判となれば藩の名前に傷が付くのは避けられなかった。江戸の悪風に染まって、当人が身持ちを崩したり散財する危険性も高い。藩当局はその対応に頭を悩ますが、結局は「外出は月数回」と管理を厳しくするしかなかった。

 長屋で窮屈な生活を強いられ、外出も制限された勤番侍にとり、室内での楽しみとは囲碁・将棋そして貸本を読みふけることだった。屋敷の許可を受けてのことだったが、貸本屋が屋敷内には出入りしていた。当時は本の購買層は経済力がある者に限られ、貸本屋から本を借りて読むのが一般的だった。勤番侍のように懐の寂しい者などはなおさらである。

 貸本屋が持って来る本の種類は、軍記物、版本にできない御家騒動もの(写本)など様々だが、恋愛小説ものである人情本、遊廓を舞台にした洒落本、春画がなかでも人気だった。こうした種類の本や錦絵は武士の体面もあって、外では立ち読みすることができない。貸本屋はそんな心理を充分に心得ていたのだ。そのほか、勤番侍たちは園芸、句会、茶会、謡なども楽しんでいる。 食事は自炊が基本だが、外出した時は外食となる。外出時に食材を購入し、共同生活を送る同僚と交代で食事を作ったのだ。藩邸つまり長屋内には様々な商人が出入りしており、外出が制限されていた勤番侍たちは出入りの商人から物品を購入した。藩によっては屋敷内に日用品を取り扱う部署があり、一種の売店のような役割を果たしていた。

 言い換えると、勤番侍にとり外出できることはたいへんな楽しみであった。行動を制限された鬱屈を一気に晴らすとばかりに、精力的に歩き回る者も多かった。花のお江戸だけあって、地方から出てきた勤番侍には魅力的な場所も多かったが、地理不案内でもあり、遠方まで江戸の名所めぐりをしようという時は連れ立って出かけた。

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