週刊朝日ムック『歴史道【別冊SPECIAL】そうだったのか!江戸時代の暮らし』から(イラスト/さとうただし)
週刊朝日ムック『歴史道【別冊SPECIAL】そうだったのか!江戸時代の暮らし』から(イラスト/さとうただし)

 武士全体の9割以上を占めていたという四十九石以下の下級武士たち。限られた収入の中、分相応の生活を営み、愉しんでいたという。週刊朝日ムック『歴史道【別冊SPECIAL】そうだったのか!江戸時代の暮らし』では、江戸三百藩の暮らしと仕事を解説。ここでは下級武士たちの「普通の生活」事情を紹介する。

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 江戸時代の日本の人口の5%にしか過ぎない武士は士農工商という身分制度を後ろ盾にする形で社会に君臨していたが、一口に武士といっても格差は大きかった。特に経済面の差は甚だしかった。

 幕府に仕える幕臣は、将軍への拝謁資格を持つか否かで旗本と御家人に大別される。慶応四年(1868)の数字によれば旗本の数は約6000人、御家人の数は2万6000人だった。下級武士の御家人が幕臣の大半を占めていたのは同じである。

 御家人の場合、ほとんどは四十九俵以下の小禄にとどまったが、それでは家族を養うのは難しく、内職は不可欠だった。正規社員の家来はもちろん、非正規社員の奉公人を雇うことも無理だった。

 上級武士の旗本ともなれば奉公人を雇えたが、武家奉公人には若党、足軽、中間、小者などがいた。もともとは農民や町人身分だが、武家に奉公することで、最下級ではあるものの武士身分に組み入れられた。

 旗本はもちろん、御家人も正式の場に出る時は槍持ち、草履取り、挟箱持ちなどの御供を連れることが義務付けられていた。そうした時、口入屋から農民や町人を武家奉公人として雇い、上絵のような出で立ちで御供させたのである。

■江戸に慣れない田舎侍が楽しんだ娯楽の数々

 江戸の大名屋敷には、大名とその家族が住む御殿を取り囲むように建てられた長屋に大勢の藩士たちが住んでいた。屋敷内の藩士には、江戸に定住する者(江戸定府侍)と、大名が江戸在府中の時だけ国元から出て来て居住する者(江戸勤番侍)の2種類があった。数でみれば、勤番侍が定府侍を圧倒していた。

 定府侍には家族持ちの者が多かったが、勤番侍は単身赴任である。一人住まいではなく、数人での共同生活を強いられた。

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