俺がプロレスラーになって、時代が経ったいま見ても力道山のからだはすごいし、日本にプロレスを確立した功績はやっぱり大きいよ。プロレスで稼いだカネでビルやマンションを建てたりして先見の明もあったよね。力道山関の伝説をいろいろと聞いていると、同じ二所ノ関部屋にいたというだけで嬉しく思ったもんだ。
ただ、俺が二所ノ関部屋に入るころは「力道山がいた二所ノ関部屋」ではなく「大鵬がいる二所ノ関部屋」というイメージだった。大鵬さんはあれだけの強さと人気を持っていたことを考えれば、もっと驕ってもよかったと思うんだけど、控え目で人間的にもすばらしい人だった。俺は大鵬さんが威張っている姿を見たことがないし、付け人に手を上げたり“かわいがり”をしたことも一切無かった。これは二所ノ関親方(佐賀ノ花)の教えとそれを守った大鵬さんがすばらしいと思う。その大鵬さんのライバルだった柏戸さんは自由奔放だったけど(笑)。佐田の山、栃ノ海といったほかの横綱と比べてもやっぱり大鵬さんは一番人間ができていたよ。
大鵬さんは度量も大きい人だった。二所ノ関部屋には大鵬さん専用の個室があって、出かける用事があるときは若い衆に留守番をさせるんだ。そのときに、部屋にある食べ物や飲み物を好きに食べたり飲んだりしてよかったんだって。
普通だったら「何、食ってるんだ、この野郎!」となるんだけどね。残念ながら俺はその留守番の話が回ってくることはなかった。相撲部屋は開けっ放しでいろいろな人が出入りするから防犯的な意味もあるし、大鵬さんを訪ねてきたお客さんにきちんと対応できる人を置いていないといけないからね。俺はその身分じゃなかったし、気が利いて、大鵬さんの人となりを分かっていて、物事を見極められる人じゃないと任せられなかっただろうね。大体、幕下以上の番付の人が担当していたよ。
大鵬さんはそういう度量が大きくて、小さな事にはガタガタ言わない人だったし、俺だけじゃなく、二所ノ関部屋のみんながそう思っていたはずだ。大鵬さんの先輩も大鵬さんのことを「大将、大将」って言って立てていたくらいだもの。