学校の卒業式に関して、岸田首相は「国歌等の斉唱や合唱のときを除き、児童生徒と教職員はマスクの着用をしないことを基本としたい」など、事細かに指針を打ち出しましたよね。基本は「個人の判断に委ねる」なんだけど、子どもたちのマスクに対する意識は、大人たちと違うと思う。子どもたちは、コロナを恐れるような教育や情報を丸3年間も浴び続けている。
子どものマスクで考えさせられたのは、僕が出演しているある番組で視聴者からの依頼を解決する企画でのこと。中学生のカップルから依頼で、入学してからマスクをしていない顔をお互いに1回も見ていないのだそう。お付き合いするきっかけとなる告白のときくらい顔を見るかと思っていたら、告白もLINEなんですよ。だから、素顔を見たことがない状況のまま、お付き合いしている。
「なぜマスク外さないの?」と聞いたら、理由は、外してブサイクと思われたらイヤだと。「お互いにマスク外してしゃべってみない?」って促したら、お互いにカッコいい、かわいいで、ますますお互いを好きになりましたというハッピーなオチなんだけどね。
結局、学校の子どもたちには、マスクを着ける、外すだけでは済まない、そういう色々な問題が存在するんだって思った。子どものマスクに対する考えもあるけど、その家庭におけるマスクや感染への考え方もある。「うちは、高齢のおじいちゃんがいるのにマスクを外すなんてとんでもない!」とかもあるだろう。「外せ、外せ」という家庭もあるだろう。
国が方針を示したけれども、学校の現場では、それでも何かしらもめると思う。そのもめごとに対して、僕たち大人がどうしていくか、どう考えていくか。学校では、想像できないもめごとが起きると思うんですよね。それこそ、理由があってマスクを外せない人が陰湿ないじめにあったりとか、反対にマスクしない人がグループLINEで陰口言われたりとか。
だから、「個人の判断に委ねる」とはなっているけど、「マスクを外していい」という国からの太鼓判が必要だと思うんですよ。もちろん、個人個人が考えて外していかれるのが理想だけど。
マスクを外していることを注意してくる人はいなくなると思うけど、国からの太鼓判さえあれば、「国がマスクしなくていいって言っているんだから」という言い返しができる。そういう国からの太鼓判がないと、国民性からなかなか外していかないだろうなと想像できる。