批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。
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再生医療の未来が話題になっている。京都大が進めてきたiPS細胞備蓄事業への公的支援が打ち切られるらしいとの報道が出て、山中伸弥教授が抗議の記者会見を行った。国はいままでiPS研究に100億円単位の予算を投じてきた。それが急に断ち切られるのだという。
報道だけみると教授の抗議がもっともにみえる。しかし事態はそう単純ではないようだ。NewsPicksが11月25日付で詳細な解説記事を発表している。それによれば、問題の背景には12年間の長い失策がある。
ヒトiPS細胞が発明されたのは2007年。国産の新技術ということで、直後から国の注目が高かった。それが12年10月の山中教授のノーベル賞受賞発表で加速する。2カ月後に発足した安倍政権は巨額の支援を打ち出し、iPS研究は急速に政治的主題になった。メディアの報道も過熱し、山中教授は国民的英雄に上りつめた。
しかし実際には、世界の研究はちがう方向を向いていた。7年後のいま、海外ではES細胞が用いられ、そもそも再生医療の先端は遺伝子治療に移行しつつある。iPS研究は、いまでは臨床にすぐ役立つものでないとみなされている。にもかかわらず日本は巨額の研究費を投入し続け、すっかり「ガラパゴス化」してしまった。今回の決定は、むしろその歪みを是正するものだというのだ。
門外漢の筆者は事情をまったく知らず、この記事に大きな衝撃を受けた。たしかに筆者もiPSは世界最先端の技術だと信じていた。しかしそれが幻想だとしたらどうか。
思えば山中教授の受賞発表は震災の翌年。記事では触れていないが、熱狂には震災後の自信喪失を埋める無意識も働いていたのかもしれない。その土壌があったからこそ、14年のSTAP細胞騒動も起きたのではないか。10年代の日本において、再生医療は単なる科学や研究ではなく、社会の欲望の受け皿にもなっていた。メディアの責任も大きい。
最先端の科学は複雑だ。素人の理解には限界がある。だからこそ市民の側は、そこに過剰な夢を投影することのないよう自制しなければならない。
※AERA 2019年12月9日号